第15回(2025年度)地域研究コンソーシアム賞(JCAS賞)の授賞対象作品ならびに授賞対象活動について下記の通り、審査結果を発表します。

 地域研究コンソーシアム賞は、研究作品賞、登竜門賞、研究企画賞、社会連携賞の4つからなります。研究作品賞は、地域や国境、そして学問領域などの既存の枠を越える研究成果を対象とするもので、作品の完成度を評価基準としています。登竜賞の評価基準も研究作品賞と同様ですが、研究経歴の比較的短い方を対象としていることから、斬新な指向性や豊かなアイディアを評価の上で重視しています。研究企画賞は共同研究企画の活動実績、また社会連携賞は狭義の学術研究の枠を越えた社会との連携活動実績を対象としています。
 今回の募集に対して、研究作品賞候補作品10件、登竜賞候補作品28件、研究企画賞候補活動5件、(社会連携賞部門は応募がありませんでした)、合計43件の応募・推薦がありました。特に登竜賞の応募が多かったことが今年度の特徴でした。
 審査については、運営委員会が担う一次審査によって審査対象作品および活動を絞り込み、専門委員から一次審査で絞り込んだ作品あるいは活動に対する評価を書面で回答していただきました。今年度の専門委員は、研究作品賞については秋田茂氏、伊藤友美氏、岡本正明氏、土佐桂子氏、中村武司氏、増原綾子氏、登竜賞については石井正子氏、栗本英世氏、松村圭一郎氏、 研究企画賞については酒井啓子氏、帯谷知可氏、佐藤寛氏にそれぞれお願いしました。その評価を踏まえて、全理事で構成する地域研究コンソーシアム賞審査委員会において最終審査を行いました。ご多忙の中、詳細な評価を作成してくださった専門委員をはじめ審査に関わってくださったみなさまに感謝申し上げます。 多くのすぐれた作品・活動の推挙を感謝申し上げますとともに、受賞された皆様には、委員会を代表して心からお祝いを申し上げます。

JCAS理事長 三重野文晴
(京都大学東南アジア地域研究研究所)

藏本龍介 "Living with the Vinaya: An Ethnography of Monasticism in Myanmar" (University of Hawai'i Press, 2024年11月)

講評

 この世界は苦に満ちている。苦しまないためには、どうすればよいのか。ブッダは、執着から離れたらよいのだと教えた。そして、その方法として、出家を示した。出家して世俗から離れ、生産活動に関わらず、教理の学習を進め、瞑想をすればよい。そうすれば、涅槃に至ることができる。その出家者の生活の形は、律(Vinaya)とよばれる仏教聖典のなかに決められている。ただし、律を完全な形で守ることは、不可能に近い。出家者とて現実の身体をもち、生を支える資源を必要とするからである。その資源のために、出家者は、社会と関わりをもたざるを得ない。
 『律とともに生きる』というタイトルの本書は、著者が2006〜2008年を中心にミャンマーで行ったフィールドワークにもとづき、そこに息づく「出家者と社会との関わり(=Monasticism)」を、複数のレイヤーで分析する。その分析の射程は広く、事例とするミャンマーの宗教(上座部仏教)と社会の研究としてはもちろん、世界各地の仏教徒社会の比較研究、仏教という宗教の人類学的研究、そしてローカルな事実発見に留まらない広い視座に立った地域研究などの複数の学問領域に確実な貢献をなす英語書籍である。大学院生時代のフィールドワークの経験と、調査地で出会った事例が、普遍的な重要性をもっていることを確信し、英語圏の研究者コミュニティを対象に、長年の経験を、新しい言葉で紡ぎ直した著者の姿勢に敬意を表したい。
 文化人類学者として活躍する著者は、これまで日本語で単著2冊、編著1冊を上梓している。超俗の出家者が社会とどう関わるのかという関心は、著者が最初の単著で取り上げ、一貫して追求してきた研究テーマである。しかし、本書は、これまでの著者の作品を単純に英語に翻訳したものではない。文化人類学者らしく、著者本人がミャンマーで一時出家した経験を含む参与観察にもとづく民族誌データを豊富に用いるほか、著者自身が行った定量的な調査の成果や、宗教人類学の研究理論、日本で独自の展開を見せてきた仏教の教理や歴史に関する近年の文献研究の成果を、マクロ/メソ/ミクロの3つのレベルで統合して、仏教という宗教の現実態に新たな形で迫っている。「出家と在家」、「自律分散型のネットワークと教団組織」、「仏教王権モデル」、「贈与交換と互酬性の拒否」、「超世俗的な幸福と世俗的な幸福」といった、出家者の社会との関わりを研究する上で重要な問題群が、3つの異なったレベルの状況の分析において繰り返し取り上げられ、最後は伏線を回収するように主張をまとめてゆく。
 その主張のひとつは、仏教徒社会では、律と社会が不断の相互構築的な関係性にある、というものである。ミャンマーの僧院を取り巻く状況を過去から現在まで見て行くと、律という聖典が規定するルールを枠組みとしつつ、その実践の形は一方向的ではない事実が浮かびあがってくる。しかし、その多様な姿は、出家者が生きようとする律の世界と、現実の資源の分配や世俗的な幸福の世界との間の相互構築的な関係性という一貫した視点で理解ができる。相互構築的という主張はまた、ローカルな文化実践(個別性)に主軸を置くのでも、教理の思想的な展開(普遍性)に偏るのでもなく、両者が関わる様態そのものに関心を向けるという著者の研究姿勢にも現れている。
 本書を読むと、仏教という宗教が、超俗と世俗のジレンマの上の危ういバランスのなかに成立している事実がよく分かる。著者が取り上げるミャンマーの森林僧院の事例は、近代化と市場経済化が進むなか、仏教の超俗性を維持しようと出家者と在家者が協力してギリギリを攻める様子を伝えるもので、読み手として感動さえ覚えた。その考察は、ミャンマー社会のエスノグラフィーとして、同じ東南アジア域内のタイやカンボジアの上座部仏教徒社会の研究に貴重な比較事例を示すという重要性に留まらない。本書が追求する超俗と世俗のアポリアというテーマは、仏教と社会の研究において広く問われるべき論点を正面から指摘し、追求するもので、文献中心に偏りがちな宗教学や仏教学の研究者に広く読まれることを願う。著者が結論の最後で述べるように、聖典と社会との相互構築的な関係を考察する本書の分析視角は、宗教研究を超えて、現代社会を捉える視座としても有効である。つまり、それは、西洋近代が生み出し、現代世界でグローバルに流布する諸概念(例えば、人権)が、各地の社会でその制度や慣習との間に独自に生み出した相互構築的な関係性を問い直すことを可能にする。
 本書は結論部において、「事実の地域研究(de facto area studies)」という表現を用いて、個別性の解明のみに留まる地域の研究を、乗り越えるべき研究分野として名指ししている。しかし、地域という研究対象が、個別と普遍が交叉する場に展開している事実を否定する者はだれもいない。この意味で、本書は、地域研究という学問領域の最前線に位置づけることが相応しい。

以上のことから、日本独自の地域研究の発展を英語圏に広く伝える優れた書籍として、本書を高く評価し、今年度の地域研究コンソーシアム研究作品賞を授賞すべき著作であるとの結論に至った。

師田史子『日々賭けをする人々――フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』(慶應義塾大学出版会、2025年3月)

講評

 本書は、フィリピン社会における日常的な賭博実践をめぐる人々の営みを丹念に描き出した、きわめて優れた民族誌である。民族誌として卓越した記述が必ずしも地域研究としての広がりを持つとは限らない。しかし本書は、人類学的な生活世界の描写と、フィリピン社会の動態に関する精密な分析とを緊密に結びつけており、民族誌と地域研究を架橋する成果として高く評価できる。
 著者がフィールド調査を実施したのは、フィリピン南部ミンダナオ島の移民系キリスト教徒社会である。ミンダナオはこれまで「民族・宗教紛争の地」として特異な注目を集めてきた。キリスト教徒の入植と土地収奪、植民地支配、ムスリムによる分離独立運動や自治拡大、さらには平和構築といった主題が、研究を牽引してきた論点である。そして、こうした研究は、不安定な政治社会状況の下で日常を生きる人びとや、異なる宗教・民族集団の共生のあり方を丹念に描き出し、重要な知見を積み重ねてきた。他方で、こうした既存の「ミンダナオ研究」が、紛争地としてのイメージを再生産してきた側面も否定しがたい。
 これに対し、著者が描く賭博に熱中する人びとの日常世界は、ミンダナオにおける生活のもう一つの側面を鮮やかに照らし出す。賭博実践という視角をとおして、従来の主題では捉えきれなかった社会の姿を提示しており、本書がミンダナオ研究に新たな地平を開く萌芽を示している点は注目に値する。
 本書の射程は、ミンダナオに限定されない。取り上げられる賭博実践の代表例である闘鶏は、多くの国で違法とされてきた一方、フィリピンでは合法化され、国民的娯楽として社会の幅広い階層に浸透している。闘鶏は国家制度の庇護の下に発展してきた賭博であり、資本家による投資、グローバル企業の薬物供給、世界各地のブリーダー業界などビジネスと複雑に絡み合っている。著者は、こうした高度に産業化された文脈において、闘鶏家が闘鶏という動物との関係をいかに結び、ケアし、闘わせ、そして食すのか、その多面的な実践を説得的に描き出している。
 さらに、第III部で取り上げられる数字くじは、著者の表現を借りれば「つまらない娯楽」とみなされがちである。しかし、この実践に没頭する人びとの意味世界を丹念に追うことで、国家が賭博を危険視し、統制し、利益を得ようとする一方で、その統制をすり抜ける領域が存在することが浮き彫りとなる。数字くじは近年まで非合法であったにもかかわらず、庶民の生活に深く根づいてきた。著者は、国家や資本に完全には絡め取られない人びとの意味世界を精緻に描写し、フィリピン社会の厚みある理解を可能にしている。
 当初は著者も紛争地としてのミンダナオにおける多民族共生に関心を持ちフィールドに赴いた。そこで闘鶏や数字くじに熱中する人びとに出会い、そこから研究テーマを形作っていった。これは、現場から問題を掘り起こすフィールドワークの正統的な姿勢であると言える。賭博に魅せられた人びとの日常を個人のレベルで生き生きと記述しつつ、賭博がフィリピンの社会・文化・歴史・経済にいかに深く埋め込まれているかを、先行研究を渉猟しつつ周到に論じている。
 本書は、賭博という切り口からフィリピン地域研究に新鮮かつ重要な貢献をするだけでなく、人間にとって賭博とは何かという普遍的な問いに対しても、実証的で深い考察を提示している。きわめて優れた地域研究の成果として、登竜賞にふさわしい一冊である。

黒木英充「イスラーム的コネクティビティにみる信頼構築:世界の分断をのりこえる戦略知の創造」(略称・イスラーム信頼学)
【シリーズ・イスラームからつなぐ全8巻(東京大学出版会)】(2020年度〜2024年度にかけての5年度)

講評

 本企画は文部省科学研究費学術変革領域研究(A)として、2020年度から 2024年度にわたり、世代、ジェンダー、ナショナリティ、専門の異なる94名にも及ぶ研究者を糾合した日本の地域研究史上に残る成果である。それは、イスラーム文明の歴史の総体を対象とし、人がいかなる形でつながりを創り出し、そこにいかなる信頼構築の知恵を育んできたかを、人文情報学も含めた広範な人文・社会科学の研究者による協働・総合により解明し、可視化するものである。イスラーム文明という枠自体も、その外部世界との関係構築も射程に収めており、調査・研究対象地域も、日本も含めた全世界に及んでいる。
 本企画では、7つの研究班がそれぞれの視座から優れた研究業績を交換してきたのみならず、8巻から成る「イスラームからつなぐ」シリーズを東京大学出版会から上梓し、イスラーム地域研究の最先端を示している。各巻では、執筆者全員が「信頼」というキーワードを自身の問いとして引き受け、異なる地域・時代を対象とする研究者が各巻の統合的なメッセージに貢献している。そして総体として、「つながりづくり(コネクティビティ)」の過程で「賭け」や「リスク」 も含んだ信頼が構築される局面、そしてその結果として現れる関係性を明らかにし、 現代世界の分断をのりこえるための知恵を提起している。特筆すべきは、第1巻が大学入学直後の学生のための指南書として、平易な記述で企画の全体像を示したことである。これは従来にない成果論集の作り方であり、今後、巨大プロジェクト・ベースの論集を編む際の模範となるだろう。第8巻『デジタル人文学が照らしだすコネクティビティ』は、本企画のイスラーム・デジタル人文学の成果の一部であり、その貢献がすでに昨年度の地域研究コンソーシアム研究企画賞を受賞しているように、日本の人文学で先駆的な取り組みである。確かに、審査の過程では、「信頼」という捉えがたい概念が個々の研究成果で消化されているとは必ずしも言えないとの指摘もあった。とはいえ、異なる地域とディプリンの研究者が交わる場を創出したこと自体が、日本の地域研究コミュニティに大きな知的揺さぶりをかけ、「信頼」と「コネクティビティ」が新たな研究の地平を切り開く契機を生み出したことに疑いの余地はない。
 本企画は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の中東・イスラーム研究者のチームスピリットを体現している。巨大事業を成し遂げようとする気概、そして何よりも新たな知識の開拓を楽しむ姿勢が、巨大な渦となって多くの研究者を巻き込んでいった。とくに、若手研究者が互いに協力し、新鮮なアイディアを提起し、プロジェクトの広報に尽力したことは特筆すべきである。さらに、シビル・ダイアログなど、地域社会の子供も参加した社会還元と実践は、多様性に対する感性を涵養する上で模範的な取り組みである。審査の過程でも、反知性主義が闊歩し、イスラモフォビアが世界各地で社会を分断し、地域の戦争に世界が巻き込まれている現在、本企画が、地域の深い洞察から分断と暴力を乗り越えるための学術的探求を行うという地域研究の使命を掲げ、果敢にこの難題に取り組んだことにたいする賞賛の声が多く聞かれた。以上の評価から、本企画が地域研究コンソーシアム研究企画賞に極めてふさわしいと判断された。本企画の成果が、日本国内で地域やディシプリンを越えて共有されるだけでなく、世界の研究者コミュニティにも波及することを願ってやまない。