JCAS:TOPページ > JCAS賞2024年度審査結果
第14回(2024年度)地域研究コンソーシアム賞(JCAS賞)の授賞対象作品ならびに授賞対象活動について下記の通り、審査結果を発表します。
地域研究コンソーシアム賞は、研究作品賞、登竜門賞、研究企画賞、社会連携賞の4つからなります。研究作品賞は、地域や国境、そして学問領域などの既存の枠を越える研究成果を対象とするもので、作品の完成度を評価基準としています。登竜賞の評価基準も研究作品賞と同様ですが、研究経歴の比較的短い方を対象としていることから、斬新な指向性や豊かなアイディアを評価の上で重視しています。研究企画賞は共同研究企画の活動実績、また社会連携賞は狭義の学術研究の枠を越えた社会との連携活動実績を対象としています。
審査については、運営委員会が担う一次審査によって審査対象作品および活動を絞り込み、専門委員から一次審査で絞り込んだ作品あるいは活動に対する評価を書面で回答していただきました。今年度の専門委員は、研究作品賞については黒木英充氏、渡邊祥子氏、山本信人氏、岡本正明氏、岡洋樹氏、他一名、登竜賞については清水展氏、川村晃一氏、福岡正太氏、 研究企画賞と社会連携賞については岩下明裕氏、鈴木玲治氏、西芳実氏にそれぞれお願いしました。その評価を踏まえて、全理事で構成する地域研究コンソーシアム賞審査委員会において最終審査を行いました。ご多忙の中、詳細な評価を作成してくださった専門委員をはじめ審査に関わってくださったみなさまに感謝申し上げます。
今回の募集に対して、研究作品賞候補作品17件、登竜賞候補作品15件、研究企画賞候補活動5件、社会連携賞部門6件の応募・推薦があり、一次審査によって絞り込まれ専門委員による評価の対象となった作品および活動は、研究作品賞3件、登竜賞2件、研究企画賞1件、社会連携賞部門2件でした。
多くのすぐれた作品・活動の推挙を感謝申し上げますとともに、受賞された皆様には、委員会を代表して心からお祝いを申し上げます。
JCAS理事長 三重野文晴(京都大学東南アジア地域研究研究所)
【研究作品賞】
工藤晶人『両岸の旅人:イスマイル・ユルバンと地中海の近代』(東京大学出版会、2022年6月)
本書は、イスマイル・ユルバン(1812~1884)の生涯を通して、地中海の近代を描いた意欲的な作品である。副題にある「両岸」は、主に地中海の北と南――キリスト教圏であるフランスとイスラーム圏であるアルジェリアを示しているが、ユルバン自身はさらなる境界性を帯びている。彼は南米のフランス領ギアナに、フランス人の商人とアフリカ系の奴隷の血を引く女性との間に生まれ、カトリックのフランス人として育ちながら、エジプトでイスラームに改宗し、しかし、カトリックの墓地に埋葬されたような人物である。当時のパリでサン=シモン主義の影響を大きく受け、それを基礎において、アラビア語を学び、アルジェリアの植民地経営に関与していった。工藤氏は、その卓越した能力により、単に興味深い人物の伝記を文書史料に基づいて描くだけではなく、時代背景や同時代の人物への深い洞察に基づく叙述を行っている。奴隷制、人種主義、植民地主義、文明・野蛮、ポストコロニアリズム、オリエンタリズムといった、近現代世界の理解のために必須の概念を、ユルバンと彼に交錯した同時代人たちの生涯の中に見いだすべく、筆者は各論点の学術的背景・文脈に位置付け、縦横に論じている。従来のステレオタイプには収まらないさまざまな事象や思想の潮流が、移動と境界性からみたその時代の地中海という場で巧みに描かれる。既存の歴史叙述の枠には入りきらないが、これもまた当時、現実に存在したことであり、現代の我々に多くの示唆を与えてくれるのである。
本書はグローバルヒストリーのシリーズの一冊として刊行されたものであり、古典的な地域研究――一つの地域を現地語の資料やフィールドワークによって深く探求する――とは手法が異なっており、その点も審査にあたって議論となった。いかにアルジェリアの「原住民」に融和的で、可能な限り彼らの利益を擁護しようとしたとしても、ユルバンはフランスのアルジェリア支配そのものに異は唱えなかった。本書で用いられている主な資料はフランス語でのものであり、その多くは専門家の間では知られているものである。しかし、グローバル化によってさらに境界性がました現代の社会において、本書のような地域の組み替えと境界性を重視した著作は、地域研究の新しい方向性を示すものとして大いに評価されるべきと考える。とりわけ、植民地主義が未だ過ぎ去らない今日の地中海地域を考えるならば、ある意味不幸なことではあるが、本書の現代的意義はさらに増すと言えよう。
以上のことから、本書を高く評価し、今年度の地域研究コンソーシアム研究作品賞に最もふさわしい著作であるとの結論に至った。
【登竜賞】
金悠進『ポピュラー音楽と現代政治——インドネシア 自立と依存の文化実践』(京都大学学術出版会 地域研究叢書46、2023年3月)
本書は、インドネシア・ジャワ島西部の「創造都市」バンドンでの1年半にわたるフィールドワークと多様な資料に基づいて、インドネシアのポピュラー音楽と政治との絡み合い、そこからみえるこの国の民主化の浸透と閉塞のダイナミクスを鮮やかに描きだした現代インドネシア音楽論の大著である。
インドネシアのポピュラー音楽と政治に関する研究は、外来音楽と在地音楽との混淆や伝統音楽の再編を、植民地期ないし独立後のナショナリズムと関連づけて論じる領域で成果を蓄積してきた。しかしその業績は、クロンチョンやダンドゥットといった個々の音楽ジャンル内の動態に焦点を絞る傾向が強く、ジャンルを超える連携には目を向けてこなかった。また時間的には、1990年代末のインドネシアの旧体制崩壊と2000年代の民主化の進展、2010年代後半の民主化の退潮といった現代政治の文脈で、ポピュラー音楽と政治の関係を実証的に論じた研究はほとんどない。
こうした研究動向をふまえて本書は、ロックをはじめとする様々なポピュラー音楽の実践者が1990年代以降、ジャンルや世代、地域の垣根を越える連帯の音楽シーン—音楽の文化空間—を紡ぎつつ、その一方で政治権力と相互依存関係を取り結んでいくという錯綜した政治過程を考察の中心におく。
ポピュラー音楽の実践者は、1990年代末のスハルト政権崩壊後の民主化過程で、音楽シーンにおける自主と自由を獲得することに成功した。ただ、逆説的なことにかれらは、権力への依存も同時に強めていった。その傾向は、2010年代後半に開催された2回の「インドネシア音楽会議」に如実に現れていた。2018年、表現の自由を制限しうる非民主的な法案、音楽実践法案が国会に上程された。音楽実践者の多くはその成立に反対した。しかし著者は、法案制定の前段階で、音楽実践者と政治権力は相互依存的な関係を築きあげており、その政治的な下地が同法案の草案につながったのだと指摘する(なお、法案は結局、廃案となる)。この見解を導くにあたり著者は、音楽実践者と政治家らが上記の音楽会議等を通じて密接な関係を構築してきた過程とその文化的文脈を綿密に活写し分析している。その記述と分析を含む第5章は本書の白眉をなしている。
著者は、文化を抑圧する権力とそれに抗う民主的な音楽実践者といったステレオタイプな見方を批判し、徹底して両者の相互作用を問おうとする。その研究姿勢の根底にあるのは、「インドネシアの音楽文化と民主政治が抱える構造的な問題」、すなわち自立と依存のジレンマを明らかにするという問題意識である。本書はその作業において、ひとつの到達点に達しているといえる。その成果はまた、インドネシアの民主化ないし脱民主化と文化との動態的な関わりを中長期的な視点で論じるための参照点にもなるだろう。
構成に関して一点だけ物足りなく思われたのは、音楽実践法案に対する音楽実践者らの反対運動と同法案が撤回されるまでの政治過程について、具体的な説明と議論が欠けていたことである。音楽実践者と民主主義との将来的な関わりを展望するためにも、この点についての議論があればより良かったのではないだろうか。
とまれ、本書はインドネシアのポピュラー音楽と現代政治の民主化をめぐる相互作用という研究のフロンティアに切りこんだ挑戦的な業績として高く評価できる。多彩な雑誌や音源、映像資料の調査に、ミュージシャンから政治家、企業家までの幅広いアクターを対象とした聞取り調査、音楽シーンでの参与観察を組み合わせた複眼的な調査は、地域研究の手法として高いレベルにある。着眼点の斬新さ、ユニークさは卓越しており、音楽についての知識を欠く(評者のような)読者を引き込む筆力にも優れている。以上の評価により、本書は登竜賞に相応しい作品であると判断した。
【研究企画賞】
須永恵美子・熊倉和歌子「イスラーム・デジタル人文学の開発」
研究企画「イスラーム・デジタル人文学の開発」は、宗教としてのイスラーム、ムスリムが多数を占める社会、アラビア語を中心とした言語圏についての研究をデジタル人文学のアプローチによって捉え直すことを目指し、須永恵美子・熊倉和歌子編著『イスラーム・デジタル人文学』(人文書院、2024年)の公刊によってその成果が発表された。
同書の意義は、イスラーム研究を例にとり、デジタル人文学を実践する日本の研究者の取り組みを具体例に即してわかりやすく概説することで、技術の進化と応用範囲の多様化がめざましいために全体像を捉えにくいデジタル人文学の入門書を成立させたことにある。
人文社会系の学問にとってデジタルサイエンス化は学問の行方を決するほど重要な課題であるが、日本ではデジタル人文学の意義がまだ研究者に十分に認知されているとは言えない。イスラーム地域を舞台に人文社会学領域を背景とする研究を行ってきた9人の著者が、研究の過程でデジタル人文学と出会い、作業の舞台裏を含めて資料をどのように扱うかを示した本書は、イスラーム研究を専門とする人文学系の研究者の視点に立ち、具体的に何をどのように扱えばデジタル人文学を実践できるのかについての丁寧な解説を多分野にわたって行っており、デジタル人文学をイスラーム研究という領域において先導する点で先進的かつ画期的で、地域研究の未来を切り拓くものである。また、同書は、研究の可視化を進めることで、情報基盤の整備や史資料の共有資源化およびその活用と評価といった地域研究コミュニティが取り組むべき課題に対しても一つの見通しを与えており、地域研究コミュニティにとっても重要な取り組みである。
なお、審査過程では、本書は扱われる史資料だけを見たときに分野や地域に偏りが見られ、人文社会学で最も大きなニーズがあると思われるテキスト分析の具体的な方法や成果は十分に示されていないのではないかという指摘も見られた。しかし、入門書という位置付けのため扱うテキストやテーマをなるべく多種多様にすることで初学者の入り口を広げようとした意図はよく理解できるものであり、今後の研究においてイスラーム・デジタル人文学のさらなる広がりと深まりが示されることが大いに期待される。
以上のことから、本書はイスラーム・デジタル人文学の入門書としてのみならず地域研究とデジタル人文学を架橋する画期的な作品であり、同書の刊行に至った本研究企画は地域研究コンソーシアム賞の研究企画賞に極めてふさわしいと評価する。
【社会連携賞】
NPO法人日本台湾教育支援研究者ネットワーク(SNET 台湾)「台湾研究の学術的研究成果に基づく学習支援活動」
本取り組みは、大学・研究機関に籍を置く研究者により運営されている「SNET 台湾」 が、台湾に教育旅行に赴く高校や大学に台湾研究者を講師として派遣し、日本の高校生が台湾で良質な研修を受けられるようにするプログラムである。地域研究者が主体となってNPO法人を立ち上げ、日本の高校、旅行会社、出版社、現地の教育研究機関や博物館を繋ぐネットワークを組織し、Web教材、動画配信、ブックガイド、講師派遣と多様な方法を駆使して地域研究の成果を発信し、日本における台湾理解ならびに日台の交流を促す非常に有益な活動である。組織力、活動の規模・実績、プログラムの完成度は他に類を見ないレベルに達している。
日本の高校・大学の教育現場と台湾研究者が密接に連携しながら、台湾への修学旅行に関する有用情報をまとめたウェブサイトの制作や、講義動画のYouTube配信とDVD化など、デジタルプラットフォームを活用した広範な学習機会の提供も本活動の大きな特長といえる。たとえばWeb教材だけを見ても、内容としては事典にも匹敵する、地域に関する集合知の魅力的な呈示となっている。修学旅行という枠組みを利用し、スタディ・ツーリズムを中核におきつつも、バーチャルな仕掛けで地域そのものを身体的に学んでもらおうというアプローチは、地域研究に関する教育のお手本ともいえる。
本活動は地域研究を通じた社会連携の一つのモデルを確立させており、地域研究の社会的意義を示す好例として高く評価できる。日本台湾学会の全面的協力のもとで展開されているアイディア溢れた社会的連携のモデルとして、他の地域研究関連学会にも大いに参考になる。JCASの社会連携賞にふさわしい優れた活動として、ここに表彰する。
【社会連携賞】
マナラボ 環境と平和の学びデザイン「地球たんけんたい」
マナラボ(環境と平和の学びデザイン)が実践する教育ワークショップは、世界の異なる地域の自然環境と人々の暮らしをテーマに、研究者、俳優、演出家などの協働により、市民に向けて体験的な学びの場を提供する。その核になる考え方は、地域研究のフィールドワークのプロセスに由来する。すなわち、人と環境、あるいは、人と人によって作り出される地域の個性や課題は、何か固定的に存在するのではなく、むしろ、動的な関係性の中で立ち上がるものであるという。フィールドワーク時における、「相互行為により立ち上がる感覚」「身体性を伴う共感」「他者と共創する時空」といった動的なプロセスを、地域研究者の発見のプロセスとしてのみ利用するのではなく、それを体験し可視化することで、たとえ現場にいなくとも、疑似的に、世界を理解するための方法論を学ぶことができる。これは、地域研究の方法論を、特に小学生に向けた学習プログラムに翻案し、地域研究の基礎にある世界観や、地域研究が実践する他者理解のアプローチを身体性や空間性から捉え直して「体験の共有」へとデザインする実践的取り組みである。地域研究の応用、あるいは、体験型の教育実践として、大変ユニークかつ先駆的であり、きわめて独創性の高い実践的活動である。また本ワークショップは京都を中心としながらも日本各地において、12年にわたって開催されてきた。メンバーの学問と社会を結び付けようとする断固たる決断と熱意がなければ、このようなプロジェクトは決して持続しなかったであろう。最後に、本活動に関わるメンバーは、地域研究の成果の社会的還元だけでなく、本実践を通じて得られた気づきを学術論文として投稿するなど、実践から学問分野へのフィードバックも志向しており、研究分野から社会への還元という一方向だけでなく、双方向の取組である点も評価されるべきであることを付け加えておきたい。
2024年11月30日
地域研究コンソーシアム賞審査委員会
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学習院大学文学部教授。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。専門は近代の地中海史、比較歴史学、グローバルヒストリー。大阪大学大学院特任研究員、学習院女子大学准教授などをへて現職。フランスとアルジェリアの関係史から出発して人の移動、思想の交流などの研究に取り組む。著作に『地中海帝国の片影:フランス領アルジェリアの19世紀』(東京大学出版会、2013年、サントリー学芸賞)、『両岸の旅人:イスマイル・ユルバンと地中海の近代』(東京大学出版会、2022年)、「植民地統治と人種主義」木畑洋一・安村直己編『岩波講座 世界歴史 16 国民国家と帝国 19世紀』(岩波書店、2023年)など。 |
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1990年大阪生まれ。東京外国語大学講師。専門はインドネシア地域研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了、博士(地域研究)。国立民族学博物館機関研究員を経て現職。インドネシアのポピュラー音楽について研究している。主な著作・論文に『越境する〈発火点〉─インドネシア・ミュージシャンの表現世界』(風響社、2020年)、「インドネシア─リッチ・ブライアンを超えろ」(島村一平編『辺境のラッパーたち─立ち上がる「声の民族誌」』青土社、2024年)、「「連帯」の光と影:第三世界都市バンドンにおける植民地主義とその脱却」(『年報カルチュラル・スタディーズ』第7号、2019年)などがある。 |
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東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所特任助教。東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL)特任研究員などを経て現職。専門はパキスタン地域研究、南アジアの言語文化。著書に『現代パキスタンの形成と変容』(ナカニシヤ出版、2014年)。本書では第1章、第4章、column9、資料を担当。 |
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慶應義塾大学経済学部教授。U-PARL特任研究員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授などを経て現職。専門はエジプト中近世史研究(歴史学)。著書に『中世エジプトの土地制度とナイル灌漑』(東京大学出版会、2019年)。本書では第6章を担当。 |
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京都大学東南アジア地域研究研究所研究員。同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コース博士課程修了。博士(同志社大学、ソーシャル・イノベーション)。10年以上事務方として地域研究支援業務に従事するなかで、一般市民や児童らに開かれた表現や社会教育を志す。2011年から断続的にカナダ先住民クリンギットの居住地等でフィールドワークを行い、2016年に博士号を取得し、「マナラボ 環境と平和の学びデザイン」を立ち上げ、仲間たちとフィールドの共創的な再現に関わる実践研究をすすめている。著作に「教室にフィールドが立ち上がる─アフリカ狩猟採集社会を題材とする演劇手法を用いたワークショップ」『文化人類学』85(2) (2020年、園田浩司、田中文菜、大石高典と共著)など。 |
名誉ある賞を賜る機会に恵まれ光栄です。審査にあたって下さった先生方とこの本の出版を可能にしてくださった全ての方々に心から感謝を申し上げます。
出版の企画から完成までに長い時間がかかりました。その間、本書の構想についてお話をさせていただく機会が何度かあり、そのたびに貴重な示唆をいただきました。なかでも心に残っているのは、ある先生がふともらした「これはこれで麗しい社会史になるのかもしれませんが・・」という一言です。厳しい激励でした。主人公の生涯を淡々と記述して読者の感じ方に委ねればよいのではという見込みの甘さをつかれました。著者の言葉で問題の奥行きを明確に説明するためには何が欠けているのか。グローバルヒストリーを掲げる叢書の一冊であるからには当然のこととはいえ、個別の事例を追いかけることに専心してきた著者にとって大きな壁と感じられました。
グローバルヒストリーという言葉が広く使われるようになってかなりの時間が経ちますが、現在でも、それは地球上のすべての地域を万遍なくとりあげる歴史(だけ)を指しているという誤解や、巨視的な構造を重視して細かな差異を切り捨てがちであるという疑念は根強いように思われます。これらの疑問に簡潔に答えるとすれば、今日の研究においてグローバルという形容詞があらわしているのは、世界のすべてを一書に収めるという望蜀の思いではありません。時間と空間の尺度をさまざまに組み合わせて、一地域の枠組みを越えた展望をひらこうとする希望であると考えています。
じっさい本書の主人公ユルバンの旅路は、ヨーロッパ史と中東・北アフリカ史といった研究制度の区分とは無関係に広がっています。そのような旅人を視野の中央に据えることによって、西洋と東洋、帝国の中心と周辺といったありきたりな構図を越えて、これまで見えていなかった近代世界の布置を浮かびあがらせることができるのではないか。それが本書の意図でした。
しかしイスマイル・ユルバンが境域の人であったといっても、彼が残したことばのほとんどは支配者であるフランス側にむけて発されたものです。強者の言語で語ることの限界は明らかです。そこで本書では、出身、信仰、ジェンダーの異なる同時代人たちを数多く登場させ、物語のバランスを回復しようと試みました。『両岸の旅人』という題名を英語では複数形で記したように、「旅人」とはイスマイル・ユルバンのことだけでなく、移動者たちの群像も意味しています。
ユルバンの比較可能な例として、レオン・ロシュがいます。幕末の日本で権謀術数をめぐらせた外交官ロシュは、ユルバンと同じ時期にアラビア語通訳となり、モロッコ、リビア、チュニジアなどに駐在した経験をもっていました。南側からの例を一人あげるとすれば、18世紀末にリビアのトリポリで生まれ、パリ、ロンドンに滞在し、ジェレミ・ベンサムと交際し、英仏語で著作を残したハッスーナ・ダギーズという人がいました。こうした南側からの声は、地中海両岸の歴史的時間がさまざまな面で同期していたこと、いわば差動する近代のなかにあったことを証言します。これらの登場人物たちのなかには、それぞれ異なる複数の属性が共存しています。そして、直接にかかわりを持たなかったはずの人々があたかも呼応するかのように行動する現象もみられます。
19世紀という時代は、国民国家の形成の時代として、あるいはヨーロッパの覇権とそれに対する対抗の時代として、大きな流れの明確な時代として描かれてきました。しかしそうした説明が見失わせてきたものも多くあります。歴史の伏流や細かな波動に着目しようとした小著が、現代世界の足下を見つめなおすことにつながれば幸いです。
このたびは地域研究コンソーシアム賞登竜賞を賜り誠にありがとうございます。拙著をご高評いただき、とてもうれしく思います。事務局並びに運営委員・専門委員のみなさま、そして京都大学学術出版会をはじめ本書の出版にご協力いただいたみなさまに、深くお礼を申し上げます。大変光栄であるとともに、身が引き締まる思いです。
ここでは本書について、というよりは、なぜこのような本を書いたのかという個人的なことや、あとがきでは書けなかったようなことを、2つ述べたいと思います。
1つ目は音楽と政治ということについて。2つ目は地域研究(者)についてです。音楽と政治について述べる理由は、なによりこの本の主題が音楽と政治だからです。なぜ私が音楽と政治について研究してきたのかをお話します。2つ目の地域研究について述べる理由は、なによりこの本を出版することができたのは、京都大学学術出版会の地域研究叢書シリーズのおかげだからです。
この本は音楽と政治について書いています。だからといって、私は音楽と政治の二足のわらじは履いてきたなどと大層なことは言うつもりはまったくありません。むしろ、その両者のバランスがまったく取れていない。にもかかわらず、なぜ音楽と政治について論じたのかを、強引に私の人生に関連づけてみましょう。
私は2010年に同志社大学の法学部政治学科に入学しました。政治にあまり興味はありませんでしたが、なんとなく「大学といえば法学部」みたいな(古い?)イメージがあったので、受験しました。私が大学時代に熱中していたのは、政治学、ではありません。99%、音楽でした。法学部で一人も友達ができなかった私は、軽音サークル(という名の飲みサークル)に入って交友関係を広げました。ただし、「授業もろくに出なかった」みたいな武勇伝はなく、ちゃんと授業には出席していました。政治学の授業が面白かったからです。とはいえ、能動的に興味が湧くのは音楽だけ。音楽を聴いたりライブをしたりすることしか快楽を得られなかった。しかし、大学4年生になり、大学院に進学すると決めてから、音楽はスパッとやめました。持っていたギターは後輩に譲るかライブ中に破壊して粉々にして捨てました。
私が大学院に入ったのは2014年です。この年は自分の研究にとって重要な年でした。インドネシアで歴史上極めて画期的な政治現象が生じました。大統領選挙です。庶民的で親しみやすいジョコウィという人物とプラボウォという元軍人が接戦を繰り広げ、最終的にジョコウィが勝利しました。この対照的なポピュリストの対決が興味深く、大学院入試の研究計画では「ポピュリズムについて研究します!」と宣言していました。
その後、大学院に進み、真面目にインドネシアの政治を研究しようと思い取り組み始めました。が、具体的なテーマが全く思い浮かびませんでした。大学院1年目の終わり頃には、自分は研究には向いていないのかも、とすら思いました。そこでたまたまインドネシアの音楽を聴く機会があったとき、あるアーティストに出会いました。
ハリー・ルスリというバンドンのロック・ミュージシャンでした。
衝撃を受けました。人生で最高の表現者に出会ってしまいました。そこから私の調査地はバンドンに決まり、研究テーマはインドネシアのポピュラー音楽になりました。
このように語ると、少しカッコつけた感じがします。実際、カッコつけています。もう少しざっくばらんに話します。よくよく振り返ってみると、大学院入試の口述試験の時から、すでに音楽について本当は研究したかったのかもしれません。面接官の教授にポピュリズムの定義について問われ、事前に準備していたポピュリズム論をたどたどしく説明し終えると、他の面接官から「趣味・特技の欄に音楽ライブと書かれていますがどういうことですか」という研究とは全く関係のないことを聞かれました。意表を突かれた質問であるにもかかわらず、意気揚々と答えていている興奮気味の私がいました。ゼミ発表では「政治の話より音楽の話をしているときのほうがイキイキしている」とよく言われました。今では授業終わりに学生さんから「キム先生は政治の話よりも音楽の話をしているときのほうが目がキラキラしている」と言われる始末です。
このように考えると、私は音楽にこだわった、というよりは、むしろなぜ政治にこだわり続けたのか、と考えるほうが自然かもしれません。大学院時代には、先輩や先生から、「キム君のテーマは音楽の研究だけでも十分面白い」と言っていただくことがあり、それ自体はたいへん嬉しかったのですが、私自身はなぜかそうは思えませんでした。インドネシアの場合、音楽は政治と絡めたほうが、絶対に面白いという確信めいたものがありました。地域研究がまるごと理解を理想とするのであれば、音楽と政治はインドネシアという地域を理解する上で、1番とは決していいませんが、2番目、いや3番目くらいには重要な視点だと思っていました。
もちろん、こうしてインドネシアのポピュラー音楽を研究することで、こうして賞をいただけるようになったのは、別に私がこの分野を切り拓いたなどと言うつもりは毛頭ありません。今から30年ほど前、インドネシアの音楽に限らず東南アジアのポピュラーカルチャー全般が真摯な学問対象とはみなされていませんでした。しかし、この30年間、いやそれ以前から、様々な方々が様々な角度から東南アジアのポピュラーカルチャー研究を積み重ねてこられました。そのみなさん一人一人の挑戦、試行錯誤のおかげで、本書を出版することができました。
さきほど私は、地域研究において音楽と政治はインドネシアという地域を理解する上で重要な視点かもしれないと言いました。とはいえ、私は自分の専門を「インドネシア地域研究」と書くことはあっても、「地域研究者です」と胸を張って答えることが、あまりできませんでした。少なくとも去年までは。
その最大の理由は、フィールドワークです。自分は地域研究者である以前に、そもそもフィールドワークに向いていないのではないかと常々思ってきましたし、今でも思っています。地域研究を専門とする研究科に入った以上、調査地に最低1年、いや2年は住み込んで調査する、みたいなイメージがあり、私もそのつもりでいました。
しかし、実際に調査をし始めると、1年どころかたった3ヶ月でギブアップしてしまいました。もう耐えきれない、と思ったのです。別に過酷な環境に身を置いていたからではありません。都心で快適に暮らし、毎日ホテルのような宿で一人で寝泊まりし、毎日ショッピングモールに通い、毎日カフェで悠長にコーヒーを飲んでいました。それでも、もう無理だと思い、帰国しました。
調査地でお世話になった人も多くいますが、深く仲良くなるまでには至らず、今でも日常的に連絡を取り合うインドネシア人はいません。外国語も苦手で、インドネシア語も思ったほど上達せず、しまいにはインドネシア料理も次第に避けるようになり、帰国前には日本食や韓国料理をデリバリーするようになっていました。
だからといって、私は、こんな半人前、いや二流三流の地域研究者が、と自分を卑下するつもりはまったくありません。なぜなら、こうして地域研究の名誉ある賞をいただけたからです。私はもう自分のことを地域研究に向いていないだとか言って逃げることはしません。
私は、立派な地域研究者です。というより、これからは一人の自立した地域研究者として、登竜賞の受賞者として、もっとがんばれよと、叱咤激励をいただいたと勝手に解釈しております。
受賞後に、たまたまですが、バンドンで一番お世話になったある知人から、久しぶりに連絡が来ました。「キム、元気にしているか」と。たいしたやりとりはしていませんが、それでもこんな私を気にかけてくれている人が一人でもいることに、改めて感謝し、思わず感情がぐっと込み上げてきました。もう5年以上もバンドンに行けていません。本書を出版できた御礼にも直接伺えていません。尻を叩かれた気がしました。
これからもこの受賞を励みに、一人の地域研究者として、地域研究のさらなる発展に全力で貢献できるように、日々精進してまいります。
本当にありがとうございました。
このたびは、栄えある地域研究コンソーシアム賞研究企画賞を賜り、誠にありがとうございます。まずは、本賞の審査に関わられた皆さま、ならびに研究企画にご協力くださった多くの方々に、心より御礼を申し上げます。
今回の研究企画「イスラーム・デジタル人文学の開発」は、『イスラーム・デジタル人文学』(人文書院、2024年)という一冊の書籍として結実いたしました。本書は、アラビア語の歴史資料の解読から現代社会の分析に至るまで、イスラーム世界を対象とした地域研究や歴史研究に、デジタル人文学(デジタルヒューマニティーズ)の手法を組み合わせるという実験的な試みでした。伝統的な学問領域の垣根を越え、デジタル人文学がイスラーム研究にもたらす新たな可能性を示そうと努めた点を評価していただけたことは、執筆者一同、大変光栄に存じます。
この研究企画のメンバーは、特定の研究組織に属していたわけではなく、コロナ禍のオンライン勉強会に集まった有志が中心となっています。2020年、デジタル人文学に早くから着目されていた熊倉和歌子さんが科研プロジェクト(デジタル・ヒューマニティーズ的手法によるコネクティビティ分析・20H05830)を立ち上げ、「もくもく会」というオンライン勉強会が開催されました。各自がZoomの前で黙々と研究を進める一方、ときおり専門家をお招きして写本の機械読解やアーカイブ技術を学んだり、興味のあるテーマを掘り下げたりする、ゆるやかなコミュニティです。もくもく会には学部生から60代のベテラン研究者まで、さまざまな背景をもつ研究者が集まっていました。私もその勉強会に参加する一人として、オンラインでの協働作業に大きな魅力を感じ、出版の構想を立ち上げました。本書に賛同いただいた執筆者はコラムを含め16名にのぼり、中東・南アジア・東南アジアなどイスラーム世界を中心とした地域研究や歴史学、社会科学の若手研究者です。出版に当たっては、人文書院様のご協力と東京大学U-PARLから全面的なご支援をいただきました。
本書『デジタル・イスラーム人文学』は、9本の章と9本のコラム、そして資料編から構成されています。メインとなる各章では、アラビア語資料のデジタル化の状況、デジタル人文学的手法とイスラーム研究・地域研究の関係、OCR/HTRなどの文字認識技術、計量テキスト分析、マークアップ言語、ネットワーク分析、GISの活用などを取り上げています。取り扱う資料は、クルアーンやハディース、法学テキスト、雑誌・新聞、五線譜、夜間光画像など多岐に亘り、執筆者の関心に基づいた多彩なアプローチを試みました。コラムでは、さらに実験的・ニッチな手法や、イスラーム世界におけるDX(デジタルトランスフォーメーション)を取り上げています。たとえば、YouTubeやTwitter(現X)上で広がる宗教グッズや説法、スマートフォンの普及に伴うバーチャルな世界でのコミュニケーションなどが挙げられます。
一連の研究活動を通して改めて強く感じたのは、丁寧なフィールド調査や文献の精読が、デジタル分析を支える基盤になるということです。たとえば第5章では、イラクの新聞記事を対象としたテキスト計量分析の事例を紹介していますが、アラビア語や現地社会に通じる研究者がストップワードを自作して検証したからこそ、有用な結果が得られています。第9章では、衛星画像やGISを用いてラマダーン期の経済活動を分析しています。本章でも、ヨルダンという地域社会を深く理解するバックグラウンドから夜間光データを読み解くことが可能になりました。デジタル技術による大量のデータ処理と、地域研究特有の現地経験や文脈理解とが結びつくことで、これまで見えてこなかった視点が得られると確信いたしました。
最後に、共同研究の楽しさに言及させてください。近年、人文科学でも共著や共同研究が増えつつありますが、デジタル人文学はその流れを後押しする仕組みが豊富に用意されています。オンラインの相談会や勉強会を活用し、研究者同士がツールやアプリケーションの使用法を共有することで、より広範囲の知識と技術を効率的に吸収できるようになりました。私たちのプロジェクトも、いただいたご評価を励みに、フィールド調査や文献研究に根ざした「地域研究×デジタル人文学」の手法をさらに深め、多くの仲間と切磋琢磨しながら研究を発展させてまいります。
この度は、地域研究コンソーシアム賞社会連携賞というすばらしい賞を賜り、ありがとうございます。会長の三重野文晴先生、運営委員長の柳澤雅之先生をはじめ、選考委員の先生方、ご推薦くださいました先生方に心より感謝申し上げます。いつもSNET台湾の活動にご協力くださる日本台湾学会員のみなさま、SNET台湾の活動を応援してくださるすべてのみなさまにも、改めて感謝をお伝えします。ありがとうございます。
日本台湾教育支援研究者ネットワーク(SNET 台湾)は、多くの日本の高校生が修学旅行で台湾を訪れているにも関わらず、日本の学校教育では台湾に関する知識を得ることが難しい現状に対して、台湾地域研究には何ができるのかという問いを基に、台湾研究者の赤松美和子、洪郁如、山﨑直也が2018年に発足したNPO法人です。
コロナ禍以前の話になりますが、全国修学旅行研究協会の資料によりますと、2018年度の修学旅行対象学年(全日制2年、定時制3年、専科、別科、中等教育後期課程)の生徒数は1,084,000人、海外修学旅行参加者は168,881人でした。そのうち台湾に修学旅行に行った高校生は57,540人です。つまり、修学旅行参加生徒全体の約5%以上、海外修学旅行参加者の約34%が、3分の1以上が、台湾に修学旅行に赴いたことになります。
台湾修学旅行ではほとんどの高校が、台湾の高校を訪問し、現地の高校生と交流の機会を持ちます。けれども、日台高校生の歴史認識につながる教科書の記述を確認しますと、台湾の歴史教科書(参照:薛化元編、永山英樹訳『詳説台湾の歴史―台湾高校歴史教科書』雄山閣、2020年)全225頁中56頁、つまり約4分の1が日本統治時代に紙幅を割いているのに対し、日本の歴史教科書は日本史も世界史も台湾に関する記述は少なく、例えば、山川出版社の『詳説日本史B』を例に挙げると、454頁中、台湾に関する記述は合計1頁に過ぎません。
私たち3人は、この100倍の知識の差を埋めるために何かしなければという思いと、ネット上に溢れる偏った台湾情報を目の前に愕然とし、行動を起こすことにました。そこで、➀台湾研究者の講師派遣、➁学習教材及び関連書籍等の作成・編集、➂ワークショップ・講座・イベント等の開催、➃台湾への修学旅行・研修旅行への計画設計及び助言、➄台湾の関係機関や研究者との連携の5つの活動を通して、台湾地域研究の最新の学術成果を、高校生をはじめ日本のみなさんにとって、手に取りやすい形で発信する活動を始めました。以下、具体的に紹介いたします。
➀台湾研究者の講師派遣:台湾に修学旅行や研修に行く高校や大学に、SNET台湾のメンバーをはじめ、日本台湾学会の会員にもご協力いただき、事前学習をお手伝いしています。
➁学習教材及び関連書籍等の作成:YouTube SNET台湾チャンネルを開設し、現在50本以上の番組を配信しています。「台湾修学旅行アカデミー」シリーズは、台湾研究者が疑問に答える形で、台湾の基礎知識をレクチャーする番組です。第1回「台湾とは何か?」(講師:松田康博)では、台湾/中華民国という二つの名前の意味など、基礎的でありながらもかなり突っ込んだ内容をわかりやすく紹介しています。そのほか、国際社会、教育、選挙、経済、建築、LGBTQ、高校生の政治参加、兵役、先住民、メディア、言語、夜市など様々な角度から台湾について紹介しています。ほかにも、台湾の博物館と協力し、①国立台湾博物館、②国立故宮博物院、③国家人権博物館、⑩国立台湾歴史博物館など台湾の代表的な10館の博物館を紹介した「おうちで楽しもう台湾の博物館」シリーズも公開中です。
ウェブサイト「みんなの台湾修学旅行ナビ」では、100人以上の台湾研究者・専門家の協力を得て、台湾の400以上のスポットをアカデミックに楽しく紹介しました。国立故宮博物院、台北101、国立台湾歴史博物館、総統府といった台湾の有名観光スポットから、国家人権博物館や、TSMC台積創新館、台湾のジェンダー平等や同性婚法制化にも尽力してきた婦女新知基金会や台湾同志ホットライン協会など、一般にはあまり知られていませんが、台湾の“今”を創って来た必見のスポットまで幅広く紹介しています。学びのポイントを分かりやすく解説したほか、関係書籍や動画も紹介するなど、楽しみながらも最新の学術的成果にアクセスできるサイトです。2023年には、台湾修学旅行のモデルコースを作成する「台湾教育旅行プランニング大賞」を開催し、学生による優秀作品を「みんなの台湾修学旅行ナビ」に掲載中です。
➂ ワークショップ・講座・イベント等の開催:「台湾地域研究と修学旅行―連続講座」(2019年、早稲田大学)、「台南を歩く、台湾を考える―台湾教育旅行の構想と実践」(2023年、九州大学)、「日台の小・中・高等学校における国際交流の現状と展望」(2024年、早稲田大学)などのワークショップを企画、開催しました。
➃台湾への修学旅行・研修旅行への計画設計及び助言、および⑤台湾の関係機関や研究者との連携では、コロナ禍を経て、台湾修学旅行や研修が再開しましたので、台湾でしか体験できない、SNET台湾だからこそ企画できるアカデミックな研修や講演などをエスコートしています。
私たちは、地域研究の世界では、決してメジャーな領域ではありません。だからこそ、多くの台湾研究者や関係者のみなさまにご協力いただきながら、学術研究に基づく台湾情報を日本社会に発信したく思い、細々と活動を続けて参りました。
このたび、地域研究コンソーシアムの先生方が、このようなすばらしい賞を以て、SNET台湾の活動を激励してくださいましたことは、私たちにとってこの上ない喜びでございます。
今後も地域研究コンソーシアムの趣旨を体して、地域研究の可能性を追求しながら、活動にいっそう努力、尽力してまいります。この度は本当にありがとうございました。
この度は地域研究コンソーシアム社会連携賞を賜り、まことにありがとうございます。選考委員の先生方はじめ、今まで関わって下さった全ての方々に、心から御礼申し上げます。本御礼はマナラボ副代表の園田浩司氏、理事の大石高典氏をはじめ、音響映像監督の矢野原佑史氏、長年伴走くださっている関雄二氏、長岡慎介氏、山口未花子氏、吉田ゆか子氏、田中文菜氏、坂本龍太氏、小林舞氏、弓井茉那氏、F.ジャパン氏、渡辺美帆子氏、中谷和代氏、渡邉裕史氏、長澤英知氏らメンバーとスタッフ全員を代表して申し上げるものです。
私は長年、事務方として、また地域研究者らが立ち上げたNPOの事務局長として、そして子育てに注力する一市民として、地域研究に触れてきました。そのなかで、研究のアウトプットとしてその多くが捨象されるのは当たり前ではありますが、多様なフィールドに生きる人々の引き込まれるような魅力が、広く日本の市民や児童に伝わるルートが限られていることを残念に感じていました。また、人々の日常の生活世界の環境や人々と関わる力や可能性そのものを共有することが、地域研究の核なのではないかと考えてきました。
私たちが立ち上げた「マナラボ 環境と平和の学びデザイン」は、フィールドでの体験を言葉で書きつけるのではなく、学習者らが身体を通して集団となって教室のなかでフィールドを「再現」しようとする学びのプラットフォームです。相互交流に重点を置くワークショップとして実践し始めましたが、年を重ねるごとに演劇的になり、現在は多くの俳優や演出家の皆さんと地域研究者・人類学者が一緒にプログラムを成長させています。再現されるフィールドは、アフリカ熱帯雨林におけるバカの狩猟採集社会、カナダ先住民のクリンギットやカスカ、インドネシアのバリ島、アンデスやブータン、中東やマレーシアのイスラーム社会など、多岐にわたります。俳優と地域研究者・人類学者らは「地球たんけんたい」の隊長や副隊長、あるいはフィールドの人々の役を演じ、学習者はたんけんたいのメンバーになり、フィールドに見立てた空間へワープしていきます。そして現地の暮らしや儀礼や踊りを模倣したり、民話劇を見たり、フィールドの文脈のなかで即興的に何かをつくったりといった体験ワークを重ねます。
そんな面倒なことをしなくても人々の生活世界は伝わるでしょう、と思われる方もあると思います。様々な地域の知識情報がクリックひとつで一様に大量に手に入る時代です。しかし多くの地域研究者は「対象地域の人々の立場・視点になることで初めて見えるものがある」と考えるでしょう。そのような視点の獲得に、フィールドワークの「他者と共に現実を構成する経験」がものを言っているように思います。書き言葉の提供も大事ですが、この「経験のプロセス」こそを市民や児童が体験することが、地域を知る面白さ・大切さを共有するカギであり、同時に「知るとは何か」「学ぶとは何か」を地域研究から教育に問いかける契機にもなり得ると考えています。市民や子どもたちから生まれるものは、専門家からみれば単なる「不完全な解釈」かもしれません。が、それは「自分とは遠い世界の正しいとされる知識」の供給ではなく、「自分の現実生活を土台にした感情のこもった経験」になり得ます。システム化された近代の教育世界では、ひとりひとりの人間の外側に「正解」があること既定路線となっていますが、生活世界の人間は取替がきかない。地域理解の場にそんな基本的な確認を組み込ませるには、学習者ひとりひとりの身体性が必要なのかもしれません。蛇足かもしれませんが、これは私が自らの子育てのなかで「固定化した知識を積みあげる」教育を与えながらも、他に提供すべき機会や世界観があるのではないかと逡巡したこととリンクしています。そしてまた、専門家の地域理解もまた不完全で途上であるなら、そのどこが不完全なのかを知る手がかりも非専門家に開かれたワークショップの中に見つけることができるかもしれません。
マナラボの体験型ワークショップにおいて、地球たんけんたい(フィールドワーカー)になった市民や児童たちは、開始時には「フィールドの人々という異質性」を眺めており「日本に住む私たちという同質性」を共有しているように思います。そこから、フィールドの人々の儀礼や生業などを模倣したり、即興的創作をするなかで、「自分たちでもありながら、その人々でもある」という状況に移行します。演劇という営みの特質ですが、「自分でないが、自分でなくもないもの」としてのフィールドの人々、その環境との関わりなどを集団で体現していきます。そのなかで、未知だったものや、無意識的あるいは意識的に排除していた異質性を自らのなかに発見することがあると実践研究のなかで分かってきています。
そのようなプロセスを、複数の地域における体験として生み出し、世界の通文化的理解へとジャンプできるような実践でありたいと考えています。「ひとりの研究者は一生をかけて一つの地域を研究する。複数の地域を扱うなど無理(不遜)でしょう」とも言われたこともありましたが、実際、さまざまな専門領域・関心領域を持たれた多くの研究者が本実践に意味を見出してくださり協働してくださることで、それも想定以上に可能になっています。自らなりの多元性の通文化的理解が地域研究の力だとも思いますので、これからも協働の幅を広げていきたいと考えています。
現時点の実践やプログラムは常に追い越されるべきものと考え、回を重ねるたびに皆で新しい試みに挑戦しています。今回の受賞はこれからも頑張りなさいという最大の励ましと受け止め、心から感謝し、各々の研究を社会実践へ、また社会実践を研究へと循環していく精進を重ねたいと思います。この度は本当に有難うございました。