JCAS:TOPページ > 第4回地域研究コンソーシアム賞 審査結果および講評
第4回(2014年度)地域研究コンソーシアム賞(JCAS賞)の授賞対象作品ならびに授賞対象活動について同賞審査委員会の審議結果を発表する。
今回の募集に対して、研究作品賞候補作品2件、登竜賞候補作品5件、社会連携賞候補活動1件、研究企画賞候補活動3件の推薦があった。研究作品賞の候補作品については第一次審査によって選抜された作品2件、登竜賞については3件、社会連携賞は1件、研究企画賞については2件の候補作品・活動を本審査委員会での審査対象とした。これらはすべて第一次審査を経て推薦されたものである。各委員の活発な議論と慎重な審議の結果、それぞれの部門について以下の作品あるいは活動を授賞対象として選出した。
【研究作品賞授賞作品】 【登竜賞授賞作品】 【研究企画賞授賞活動】 【社会連携賞授賞活動】
末近浩太著 『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』
(名古屋大学出版会)
塩谷哲史著 『中央アジア灌漑史序説―ラウザーン運河とヒヴァ・ハン国の興亡』(風響社)
高橋美野梨著 『自己決定権をめぐる政治学‐デンマーク領グリーンランドにおける「対外的自治」』
(明石書店)
谷垣真理子(代表) 「国際研究プロジェクト『華南研究の創出』」
(『変容する華南と華人ネットワークの現在』(風響社))
アジアプレス・インターナショナル
「報道ウェブジャーナル『アジアプレス・ネットワーク』における現代アジア報道」
受賞された5氏には、委員会を代表して心からの祝意をお伝えしたい。以下は、各賞の授賞理由ならびに授賞作品・活動に対する講評である。
研究作品賞:
末近浩太著『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』
(名古屋大学出版会)
本書は、著者が「中東政治の結節点」と位置付ける、レバノンのシーア派イスラーム主義組織ヒズブッラー(一般的にはヒズボラと表記されている)の結成から今日に至るまでの動向を、丹念な一次資料の渉猟と文献調査、および現地での聴き取り調査によって跡づけることで、この組織が結節点として関与してきたレバノン政治、中東政治、国際政治の相互連関を重層的に考察した好著である。
本書では、ヒズブッラーを、レバノンという国民国家に誕生した組織でありながら、独自の「外交」を展開しうる自律的かつトランスナショナルな性格を持ち、国民国家を超克しようとするアクターと定義づけたうえで、この組織を中心に据えた時に見えてくる、中東をめぐる国際政治の移り変わりを地域研究の手法で分析している。その際、地域研究に内在する学問領域の横断性を強く意識した方法論が採用されており、イスラーム思想史、国際政治学、比較政治学、人類学の参与観察といった相互に架橋が困難な領域を統合しながら、超国家アクターとしてのヒズブッラーの諸活動を包括的に扱うことで、その議論の射程も国家・地域を横断した多面的なものとなっている。さらに、本書を評価すべきもう一つの特色として、従来の中東政治研究では無数のアクターの一つとして政治動態論的にしか捉えられてこなかったイスラーム主義組織や運動を、イスラーム思想史を精緻に読み解くことによって、その固有性や内的論理を現代中東政治と有機的に関連付けることに成功している点が挙げられる。これによって、従来はありがちだったイスラーム主義と現代中東政治の研究上の断絶が克服され、この地域の政治と思想を総体として把握することが可能になった。
以上に述べたように、本書は我が国における今日の中東地域研究の一つの到達点を示す著作となっており、今後のレバノン研究、中東政治研究に際しての必読文献となり得る可能性を秘めている。その意味で、地域研究コンソーシアム研究作品賞を授与し、顕彰するにふさわしい作品であると判断される。
登竜賞:
塩谷哲史著『中央アジア灌漑史序説―ラウザーン運河とヒヴァ・ハン国の興亡』
(風響社)
高橋美野梨著『自己決定権をめぐる政治学−−デンマーク領グリーンランドにおける「対外的自治」』
(明石書店)
登竜賞の二作品に関しては、それぞれ荒削りながらも、異なったタイプの地域研究として将来性を高く評価できるとの認識で審査委員の見解が一致した。選考においては、長い時間を費やして、どちらがより優れているかが議論されたものの、どちらか一方に絞り込むことは、地域研究の多様なあり方を考慮に入れると正しい判断とは言えず、二作品に続く、若手研究者に示すべき研究のあるべき方向性という点からも、審査委員全員の総意として、二作品とも登竜賞に値すると判断した。
塩谷氏の著書は、アラル海南方の、ヒヴァまたはホラズムと呼ばれるオアシス地帯にソ連時代以前に存在したウズベク系王朝ヒヴァ・ハン国の歴史を、灌漑史という切り口から描いた斬新な作品である。
先行研究の渉猟と批判的検討を経て、多言語かつ多数の史資料(特にソ連解体以降、利用可能となった現地資料)を利用して試みられるハン国史再構築の試みは圧巻であり、地域的にも時代的にもこれまでの中央アジア史研究の空白を埋める、優れた実証史学研究である。
基本的には、歴史学・東洋学分野の業績ではあるが、アラル海消滅という現実に直面するなかで中央アジアにおける水資源問題という今日的かつグローバルな課題を念頭に置きつつ、環境史という文理融合的な研究領域への歴史学からのアプローチをめざしている。そこには、ロシア帝国論の分野での貢献とも相まって、地域研究のあり方に関する筆者独自の立ち位置が示される。この点については、水資源という自然科学の知見をもとりこむべき研究テーマにおいて、実証史学的な視点にやや重きを置きすぎているとの批判も可能であるが、史料にもとづく手堅い地域研究という側面から見ても高く評価できる。
高橋氏の著書は、気候変動に伴い地下資源や交通路や防衛拠点の要所として今日最も「熱い」「国」である極北のグリーンランドの第二次大戦期から現代までの自治権の拡大をめぐる政治を扱った、世界的にもまれな国際政治学の研究書である。
本書の最大の特色は、グリーンランドの自治の実態を、「中心-周縁」関係を準拠枠としない、本土社会を介さずに、あるいは本土社会と同等の立場で域外主体との交渉を可能とする「対外的自治」、本土社会に依存することなく自立的な政治経済社会の構築を志向する「対内的自治」という二つの概念に区別し、さらにデンマークを「本土デンマーク」と「デンマーク国家」に峻別して読み解き、グリーンランドの自治の「対内的自治」を問わない「対外的自治」という、従来の自治論研究の分析枠組を超克する構図を提示したことである。しかも、グリーンランドの「対外的自治」の志向を、1970年代から今日に至る歴史的展開の検討により、「対外的自治」の志向が「本土デンマーク」に対峙する形ではなく、EC、在グリーンランド米軍基地の問題、北極海域の境界問題など、域外主体・環境主体との国際関係上の諸問題解決のために希求されてきたことを丁寧に読み解いた点は、自治の問題がもはや国内問題としてではなく、国際関係も含めた国際政治問題として論じる必要性を示すものである。この「対外的自治」という準拠枠の企ては、やや構図先行のきらいはあるという意見も出されたが、従来の国民国家の枠組みが対外的にも、対内的にも再考が求められる現代の国際情勢において、グリーンランドないしは北欧地域研究という点だけでなく、「自治」に関する地域研究の一つのマイルストーンになるものとして、高く評価できる。
以上のように、審査委員会は両著者の将来性を高く評価しつつ、同時に審査の過程において次のような点が今後深められるべき課題として指摘された。後に続く若手研究者の参考となることを期待したい。
塩谷の作品は、実証史学としての成果をもたらした点は高く評価できるが、中央アジアにおける水資源問題という点からみると、水資源をめぐるマクロな権力関係に焦点が当てられており、対象地域の環境、環境史、水資源を利用せざるを得ないミクロレベルの地域住民の生態などへの目配りが充分でなかった点については、むしろ実証史学研究と地域研究のより一層の緊密な結合の可能性に将来性を見いだせるといえよう。今後、水資源問題をより広い視点から捉えながら、さらに展開されることが期待される。
他方、高橋の作品は「中心―周縁」関係を準拠枠としない自治論の提示を目指したものといえるが、グリーンランドがデンマーク政府に多大な経済的援助を受けているという、中心からの「法外な善意」に依存している実態をみる限り、グリーンランドの自治の実態は「中心―周縁」関係の枠組みから脱却しているというよりは、中心による周縁を包括する新たな政治的柔軟性を示しているとも理解できる。今後さらに理論的検討が必要であるという指摘もなされた。しかし、「法外な善意」が可能となるデンマークの政治的土壌やグリーンランドの地政学的な立地上の特性についての言及もあり、これらの点をさらに深めることをとおして、国家の周縁地域の独立性ではなく、対外的自治の可能性という国際関係の中での自治論という一般的問題への展開を期待できる点が指摘された。
研究企画賞:
谷垣真理子(代表) 「国際研究プロジェクト『華南研究の創出』」
(『変容する華南と華人ネットワークの現在』(風響社))
本企画は、「華南」という地域社会の歴史的淵源をふまえ、その華人ネットワーク形成を個人史・家族史の視点から、かつその双方向性機能も含め総合的に分析した国際共同研究である。
先ず本企画は、社会学・経済学・人類学・歴史学・移民研究など多様な専門領域からなるグローバルな視野からの華南研究であり、分野横断性のもつ多様性・多層性を具体化した成果といえる。さらに、香港・マカオ・広東・福建・広西・海南などのいわゆる華南地域に限らず、サハリンはじめ、北東アジア・東南アジア・沖縄・欧米を含めたグローバルに広がる双方向性をもった華人ネットワークの多様性を、国家や地域を超えた地域横断性の視点から多面的に解明した点で、独創性と波及性が高く評価できる。とりわけ、北東アジアを舞台にした華人ネットワークに関する議論では、これまでほとんど知られていなかった事実が明らかにされており貴重な成果の一つといえよう。とともに、現代華南の、とくに香港を含む地域政治社会の構造的変動分析とその研究成果のアクチュアリティにも注目すべきであろう。
もちろん、個別的内容については、今後さらに分野/地域横断性をめぐる内外の研究者間の相互架橋による、より高次の華南研究の総合化と、多言語による発信が期待される。
こうした総合的かつミクロな事例研究を含む本企画「国際華南研究」は、企画推進過程で具体化した人的ネットワーク(厦門大学・中山大学・香港大学・香港城市大学・マカオ大学など)形成とその蓄積がなければ実現しえなかったと考えられる。その基盤の上に研究代表者を含む呼びかけで、2011年「日本華南学会」が創設されたことは、華南研究が新たな段階に入ったことを意味することになるだろう。
これらの点に鑑みて、本企画は、地域研究コンソーシアム・研究企画賞に値するものと評価される。
社会連携賞:
アジアプレス・インターナショナル
「報道ウェブジャーナル『アジアプレス・ネットワーク』における現代アジア報道」
http://www.asiapress.org/
本活動は、フリーランスのフォト・ジャーナリスト集団であるアジアプレス・インターナショナルがウェブサイト上で行っている調査報道であり、独自の視点から、現代のアジア諸地域に関する質の高い情報を、ビデオ・ジャーナリズムの手法を駆使しつつ、ウェブサイトの映像を中心とした多様な表現形にて発信し、日本社会に対して問題提起している点は極めて魅力的でありかつ意義深い。 また、こうした活動は、紛争地も含め研究者が十分に入れない地域や状況にも果敢に向かい報道する結果、メジャーではもたらし得ない詳細な情報を地域研究者に提供し、地域研究者による研究成果の公表と相互補完的に、アジア諸地域に対する理解を深め、地域研究の発展に他に類をみない貢献を行っていると言える。 これらの点に鑑みて、同活動は、社会連携賞の授賞対象としてふさわしいものと判断される。
2014年10月10日
地域研究コンソーシアム賞審査委員会
委員長:西村成雄
委員:長崎暢子
髙木正洋
二村久則
山田孝子
立命館大学国際関係学部教授。博士(地域研究)。専門は中東地域研究、国際政治学、比較政治学。シリアとレバノンを中心に、イスラーム政治思想・運動の実態解明とその政治的な意義・役割についての実証研究に取り組んでいる。英国ダラム大学中東・イスラーム研究センター(CMEIS)修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。著作に、『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)がある。 |
筑波大学人文社会系助教。博士(文学)。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻博士課程単位取得退学。ウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所留学、日本学術振興会特別研究員(DC2)などを経て、2011年より現職。現地語(テュルク系諸言語)とロシア語の一次史料を用いて、おもに18世紀以降の中央アジアの灌漑史研究を行っている。とくにアラル海の南方に広がるホラズム地方における人文環境と自然環境との関わりの変化に注目し、近年では現地でのフィールドワークを進めている。 |
日本学術振興会特別研究員PD(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)。博士(国際政治経済学)。専門は国際関係学、北欧地域研究。グリーンランドとデンマークを中心に、北極圏島嶼部の自治構造の解明とその変質過程についての研究に取り組んでいる。デンマーク政府給費奨学生(グリーンランド大学大学院)、日本学術振興会特別研究員DCなどを経て、筑波大学大学院一貫制博士課程人文社会科学研究科修了。著作に、『デンマークを知るための68章』(共著、明石書店、2009年)、『Image of the Region in Eurasian Studies』(共著、KW Publishers Pvt Ltd、2014年)等がある。 |
東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(学術)。東京大学大学院 総合文化研究科地域文化研究専攻 博士課程単位取得退学。香港大学アジア研究センター留学、東海大学文学部専任講師、同助教授、東京大学助教授を経て現職。専門は地域文化研究、現代香港論。選挙を軸に香港の政治と社会を分析、2009年より香港起点の移民について論文を発表。著作に、『原典中国現代史:台湾・香港・華僑華人』(岩波書店、1995年、若林正丈・田中恭子との共編)、『模索する近代日中関係――対話と競存の時代』(東京大学出版会、2009年、貴志俊彦・深町英夫との共編)がある。 |
ジャーナリスト/アジアプレス大阪事務所代表。 1962 年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。韓国の延世大学に語学留学後、在日韓国・朝鮮人問題などを取材。北朝鮮取材は国内に3回、朝中 国境地帯には約95回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信 「リムジンガン」 の編集・発行人。主作品に「北朝鮮難民」(講談社)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。 |
このたびは、大変栄えある「地域研究コンソーシアム賞」研究作品賞をいただき、誠にありがとうございました。私にとって、地域研究を冠した本賞の受賞は格別の重みを持ちます。それはなぜか。そのことをお話いたします。
拙著は、注や引用文献リストを含めると480ページにもなりますが、そのメッセージは次の2つに集約できると思います。
1つは、『イスラーム主義と中東政治』という書名が示すように、イスラーム主義の研究は重要であり面白い、そして、複雑怪奇な中東政治を理解する大きな手がかりになる、というメッセージです。日本において、イスラーム主義に関する研究は一般にイメージされているほど多くありません。エジプトやチュニジアといった各国の政治についての研究は近年充実しつつあり、イスラーム主義組織や政党はその不可分の構成要素として語られます。しかし、彼ら彼女らの内的論理や実態について真正面から研究する者は少数です。そのため、イスラーム主義の実態を明らかにすることは、その知の空白を埋めるだけではなく、中東政治それ自体の理解や分析枠組みの深化につながるものだと考えています。
もう1つは、地域研究は重要であり面白い、そして、イスラーム主義や中東政治の理解のみならず、学問のさらなる発展に大きく貢献しうるものである、というメッセージです。ヒズブッラーという事例に出会ったのは私が学部生だったときですが、それから彼ら彼女らに向き合えば向き合うほど、その理解には地域研究の力が必要だと思うようになりました。このことは、裏を返せば、既存のディシプリンの得手不得手を考えることでもありました。
しかし、問題があります。「地域研究とは何か」という問いです。地域研究の定義は————少なくとも比較政治学や国際政治学などのディシプリンと比べると————曖昧です。何を、どのように、どこまで研究すれば、地域研究と見なされるのか、あるいは名乗れるのか。こうした漠然とした不安は、地域研究を志した方ならば誰もが感じたことがあると思います。このことは、地域研究の弱点でもあり、また、若い世代の「地域研究離れ」を助長していることは否めません。
これは地域研究なのか、何が地域研究なのか————。こうした迷いや葛藤を常に抱えながらも、地域研究が持つ力に対する信頼と実証研究の成果を何度も何度も往還しながら、「自分なりの地域研究」を創り上げてきました。そして、それを1冊の本として世に問いました。
冒頭の問いに戻ります。私にとって地域研究の名を冠した本賞の受賞が格別の重みを持つのは、なぜか。それは、迷いや葛藤のなかで続けてきた「自分なりの地域研究」が他ならぬ地域研究として受け止められ、認められた証となったからです。このことは、私のこれまでの、そして、これからの研究を勇気づけるものとなりました。
とはいえ、拙著で体現した「自分なりの地域研究」は、言うまでもなく、私1人で創り上げたものではありません。専門のディシプリン、地域、時代を異にする多くの研究者の方々、それから何よりも、レバノンとシリアをはじめとする中東の人びととの出会いなくして、「自分なりの地域研究」がかたちになることはありませんでした。
私の研究を支えて下さったすべての皆さまに、そして家族に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。また、審査委員の皆さまにも厚く御礼申し上げます。
これからも地域研究のよりいっそうの発展(development)、いや、さらなる進化(evolution)に貢献できるような研究を進めていく所存であります。 このたびは、本当にありがとうございました
このたびは、「地域研究コンソーシアム賞」登竜賞という栄えある賞をいただくことになり、大変光栄に思っております。はじめに、学部・大学院と研究の出発点からご指導を賜った小松久男先生をはじめとする東京大学文学部東洋史学研究室の皆さまに深くお礼を申し上げたいと思います。
受賞作となりました『中央アジア灌漑史序説』の執筆に至る経緯を記させていただきたいと思います。本作は、私が2011年に提出しました博士論文をもとにしています。副題にあるヒヴァ・ハン国は、16世紀から20世紀初頭にかけて、現在のウズベキスタン共和国とトルクメニスタン共和国にまたがるホラズム地方に成立した政権の通称です。私は卒業論文以来、10年以上この地域の研究を続けてきました。
ただ、私はもともと「灌漑史」や人文環境と自然環境との関係を主軸に据えて研究を進めてきたわけではありません。留学から戻るまでのテーマは、ヒヴァ・ハン国内に居住した諸民族集団間の関係に注目した政治史でした。また私は東洋史学研究室という、いわばアジア諸地域に関する文献学的研究に主眼を置いてきた研究室の出身です。その私が灌漑史というテーマの重要性と可能性、それに対する強い関心を抱くきっかけとなりましたのは、やはり、2006年から2年間のウズベキスタン留学だったと思います。留学中は、首都タシュケントに住みながら、ウズベキスタン内外各地を旅し、各国で若手の研究者を中心に交流をしました。また数か月に1度は、夜行列車に18時間ほど揺られてヒヴァに行きました。障害を持つ娘さんをタシュケントの病院から連れ帰る家族や、故郷を離れて首都の学校や職場に行っていた若者たちと、車中で語りあったことは忘れられません。とくに、砂漠地帯に囲まれたヒヴァに水をもたらす大河・アムダリヤを渡る鉄橋で、彼らがときにうれしそうに、ときに心配そうに、窓から争って水の流れを見ている瞬間は強く印象に残りました。それは故郷に戻った喜びの瞬間でもあり、また例年より少ない水や吹きだまった白い塩のかたまりが、これからの生活はどうなるのだろう、という不安をかきたてる瞬間でもありました。
彼らの喜びのもとであり、心配の種でもあることを、自分ができる範囲で研究してみよう。そう思い、大学院入学以来進めてきた諸民族集団間の関係に注目した政治史は寝かせておき、灌漑を研究テーマの中心に据えることにしました。新たなテーマに飛び込むことは、私にとって一大決心で、望外に多くの史料に恵まれた反面、整理がつかずに、何から手をつけたらよいか分からなくなることも多々ありました。ただ研究室の仲間や留学中に知り合い各国で活躍する若手研究者たち、留学にご支援をいただいた松下幸之助記念財団の元奨学生、現職の同僚たちとのつながり、そして何よりアムダリヤの流れを一緒に見た人たちとの記憶が、本受賞作の執筆へと導いてくれました。
博士論文を提出後、以前に執筆した修士論文を読み返す機会がありました。そこには今後の課題として、民族集団間の歴史的な水をめぐる対立を強調してきたこれまでの研究を見直すためには、一つの運河/水路をめぐる居住者間の共存と対立を現地社会の論理に沿って解明することが必要だ、という趣旨の一文が書かれていました。本受賞作では、それに対する一つの回答を、図らずも導き出すことができました。私は留学を経て新たなテーマに飛び込んだ気持ちでいましたが、結局10年前の宿題に答えただけだったのか、と赤面の思いがします。一方で、東洋史学研究室で学んだ実証史学の手法が、ある特定地域の社会の論理と実践を明らかにする地域研究に不可欠な手法の一つであることを確信しました。
今後は、水文学、文化人類学、国際関係学の方法や視点を取り入れた学際的な研究を展開するとともに、「序説」に終わらない灌漑史の執筆へと邁進していきたいと思っております。
この度は、拙著『自己決定権をめぐる政治学』に対して登竜賞という素晴らしい賞を頂き、本当にありがとうございました。審査を担当して頂いた先生方、関係者の皆さまに心より深く感謝いたします。JCASは、私が最も憧れ、コミットすべく努力してきたアカデミック・コミュニティの一つです。そうした意味でも、今回の登竜賞の受賞は、大変光栄に思います。
拙著の完成に至るまでには、国内外を問わず、論文の指導教官、先輩、同期、後輩の方々から有益なご助言を頂きました。また、専門の国際政治学だけでなく、文化人類学や社会学といった隣接諸分野の研究者の方々やその著作にも多くを負っています。様々な面でご支援頂いた全ての方に、この場を借りて感謝いたします。なかでも、修士・博士論文の主査を担当して頂いた鈴木一人先生には、私の、時として独りよがりな意見に対して、厳しくも建設的なご助言を頂きました。普遍的な科学を志向することと、地域研究を志向することとのバランスをいかに取っていくのかというのは、現時点でも私にとって大きな課題ですが、この「普遍」と「個別」のバランスを意識しながらも、自分の問題関心に素直になってみることの大切さを教えて頂いたのも鈴木一人先生でした。この場を借りて深く感謝いたします。
私が研究対象であるデンマークやグリーンランドと出合ったのは、今から約25年前、親の仕事でデンマークに移住し、現地校に転校した時です。当時、小学生だった私は、首都コペンハーゲンの歩行者天国や中央駅において、アルコールを片手にフラフラしているモンゴロイド系の人たちをよく見かけました。それが、グリーンランドにルーツを持つ人たちであると知るまでには少し時間が必要でしたが、少なからずのデンマーク人たちが、彼らを見て、少し差別的な、自分たちとは違うグループに属す集団として接していることは、小学生の私からも見て取ることができました。このことを後から振り返ってみると、自国の自治領であるにもかかわらず、学校教育の場でほとんど学習の対象にならないことに伴う無知や無関心によるものだと分かるのですが、グリーンランドやグリーンランド人は、デンマークの中で「最も近い他者集団」として不思議な存在感を放っていました。
中央と地方の政治・経済・社会関係やバーゲニングの構図を刷新すること、自治の構図を問い直してみようとする拙著の取り組みは、本土デンマークにおいても「無関心の対象」といえるグリーンランドの自治構造の解明とその変質過程を扱うものであり、様々な面で参入障壁の高い状態からスタートしました。そうした中で拙著の枠組みを構築するにあたり意味を持ったのが、フィールドワークという研究手法でした。先行するいくつかの研究との対比の中で、フィールドワークを通し地元の声を聞くこと。これは、研究を地元不在のものとせず、且つ地元偏重にならないための研究の方法論的立場であり、既存の枠組みを批判的に検討しつつ新たな視座を提示する上で極めて重要な意味を持つものと考えています。
拙著は、フィールドワークを通して得た現地の声を頼りにしながら、それをどう解釈するかという点も現地の文脈に基づくものでありたいと願い生まれてきたものです。そこでは、従来の多くの自治論を規定してきた中央政府との「中心‐周縁」関係を批判的に検討し、その刷新と自治要求をめぐる新たな論理の提示を目的としていました。この「中心‐周縁」関係に拠らない自治の在り方を明らかにする上で、拙著では「対外的自治」と「対内的自治」という新たな分析概念を導入しました。もちろん、概念の汎用性を高めたり精緻化を図ったりと、残された課題が多いことも自覚しております。その一つ一つをクリアしていくことが、今回の受賞に応えていくことにつながると認識しております。登竜賞の受賞に恥じぬよう、これからも研究に精進していく所存でおります。
最後に、繰り返しにはなりますが、この度は登竜賞という素晴らしい賞を頂き、本当にありがとうございました。今後とも、ご指導何とぞよろしくお願いいたします。
このたびは思いがけず、このような栄えある賞をいただき、まことにありがとうございます。授賞の対象となったプロジェクトは、科学研究費補助金 基盤(C)「華南地域社会の歴史的淵源と現在」(2007年度~08年度)と同 基盤(B)「北東アジアから東南アジアを結ぶ華人ネットワークについての研究」(2009年度~11年度)です。これらのプロジェクトは、谷垣が研究代表で、塩出浩和・城西国際大学准教授と容應萸・亜細亜大学副学長兼教授と協力して進めたものです。
わたしたちは、1980年代半ばにはお互いのことを知っており、1998年から開催された広東研究会(塩出が主催)に参加しておりました。谷垣は香港の政治と社会を、塩出はマカオを中心とする中国政治史を、容は留学生を中心とする日中関係史と広東省を起点とする家族史について研究を進めてまいりました。
このような三人があつまって共同研究を始めたのは、日本における中国研究が北方中心であるという思いからでした。東北地域および、北京・天津を中心とする華北地域、上海を中心とする華東地域などについては、地域名を冠する著作があります。もちろん、華南についても皆さまの念頭にすぐ浮かぶような、重厚な実証研究があるのですが、しかしながら、華南研究というくくりはそれほど明確になっていなかったように思います。
まず、最初のプロジェクトでは、それぞれの研究対象を個別に論じるのではなく、「華南」という、より広い地域の文脈の中で有機的にとらえようとしました。当時、華南地域の一体化は進んでいましたが、プロジェクトでは現状にのみ関心を持つのではなく、その歴史的淵源をさぐることを強く意識しました。
次のプロジェクトでは、北東アジアから東南アジアまでを視野にいれて、華南という地域を関連性に着目して考察しようとしました。具体的なきっかけは、2008年に日本華僑華人学会の特別研究会で、函館の中華会館を訪問したことでした。函館ラ・サール高校の小川正樹氏の北海道華僑に関する詳細な研究に加えて、函館の地でロシア極東大学・函館分校や、ロシア語が併記された案内標識を見て、華南のネットワークが北東アジアのネットワークと出会う可能性を目のあたりにしました。
とはいうものの、華南研究者主体のプロジェクトで、どこまで「北東アジアから東南アジアまで」を視野に入れられるかは冒険でした。このため、東南アジア研究者のほかに、ロシア研究者や北海道華僑研究者に参加してもらいました。同時に、プロジェクトが仲間内の議論に終わらないように、海外の研究者との交流に力を入れました。2009年3月に厦門大学南洋研究院の荘国土院長と廖大珂教授を招聘したのに始まり、中山大学の陳広漢教授、毛艶華教授、程美宝教授、香港大学の黄紹倫教授、香港城市大学の鄭宇碩教授、マカオ大学のポール・バン・ダイク教授を招聘いたしました。中山大学の魏志江教授は国際交流基金のフェローシップで来日中に本プロジェクトにご参加くださいました。
論集『変容する華南と華人ネットワークの現在』は、これらのプロジェクトの研究成果です。東京田端の風響社さまが出版をお引き受けくださり、平成25年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けて刊行が実現しました。論集は、個人史や家族史などのミクロなレベルまで視点をおろし、マレーシア華人やマカエンセに見る混血性の問題、国境を越えて移動するグローバル家族の存在、華南と日本を結ぶ媒介項としての台湾や沖縄の重要性など、興味深い論点を示せたと思います。個別論文では、ロシア研究者の神長英輔氏がコンブに着目して、ロシア極東と華南のネットワークを論じ、本論集ならではの論稿を仕上げてくれました。
なお、この論集よりも少しだけ早く、2011年9月に日本華南学会が発足いたしました。呼びかけ人は、わたしたち三人の他に、中国近現代史研究の深町英夫氏、中国経済研究の澤田ゆかり氏、中国の思想文化研究の林少陽氏です。今年5月には学会誌の第1号を無事発刊しました。
最後に、この場をお借りして、わたしたちをこれまで応援してくださった諸先輩方と同僚の皆さま、地域で出会った方々と友人たち、そして家族の皆々に心よりの感謝を捧げたいと思います。
この論集で取り結んだ学縁を大切にし、日本における華南研究のさらなる発展のために、今後も精進することをお約束いたします。
このたびは本当にありがとうございました。
このたび、地域研究コンソーシアム賞の社会連携賞を頂く名誉にあずかり、私たちアジアプレスに所属するジャーナリスト一同、大変喜んでおります。
アジアプレスは、もともと1987年にフォトジャーナリストのネットワークとして発足しました。当時のメンバーは約30人。半数が日本人、そして半数はタイ、インドネシア、インド、中国、韓国などアジア各地の人たちでした。「独立系のジャーナリストが互いに助け合い、アジアの国々のジャーナリズムを支援する」というのが、アジアプレスの理念です。80-90年代、アジアの国の大半は、貧しく政治的抑圧のために自由な表現、報道が許されない状況にありました。一方で、ベトナム戦争に代表されるように、冷戦下で激動するアジアの状況に国際的な関心はずっと高いものがありました。しかし、アジアのことを取材するのも、世界に配信するのも、ほとんどの場合欧米の大メディアが行っていました。そこにはアジア人の視点、その国に住む人々の立場というものが希薄であったと言わざるをえません。アジアプレスは、「アジア報道をアジアの人間の手で担う」ことを掲げて、アジアのジャーナリストたちと連携を始めたのです。今、アジアの国々の多くは経済的に発展しました。自由と民主主義を 大きく前進させた国もあります。20数年前に手を取り合ったアジアの若いジャーナリストたちは、各々の国で、記者として、映画監督して、作家として活躍するようになりました。
私たちジャーナリストの仕事は、現場に赴くことが基本中の基本です。そして「問題の核心に近づく」ことを、もっとも大切にしてきました。そのためには、現地に通い続けたり、長期滞在したり、時には現地に住むということになります。現場の取材、調査の手法は、アカデミズムの地域研究と共通する部分が多く、取材現地で研究者の方と一緒になることも少なくありません。私たちは、同じ分野を調査している研究者の方の仕事から多くを学び、取材の方向に示唆を受けてきました。
私たちジャーナリストにとって、地域研究者の皆さんは、取材における「先生」であり、時に問題を一緒に考え悩む「同志」であり、そして時には、「負けてなるか」と闘志を抱くライバルでもあります。これまでは、ジャーナリストと研究者の交流が頻繁にあるわけではなかったのですが、昨年から、関西のJCASの研究者の方々と「協働作業」の可能性を話し合い始めました。この7月には世界のレイシズム潮流とその克服を考えるシンポを共催しました。ジャーナリズムと地域研究が、垣根を越えて刺激的なコラボができる可能性を実感しました。両者の仕事は、「ある地域に対す る世の理解の助けになるべし」という柱の部分で共通しています。互いに刺激しあい、切磋琢磨しながら、質の高い取材、調査の成果を社会に発信していく、そのための協働を、研究者の皆さんと進めていきたいと思っております。
このたび、私たちアジアプレスがJACASより社会連携賞を授けられたのは、地域研究の専門家の皆さんから、国際報道をコツコツやってきた我われの仕事が評価されたということであり、なにより誇らしく、嬉しく思っております。
ありがとうございます。