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JCAS賞2023年審査結果

 第13回(2023年度)地域研究コンソーシアム賞(JCAS賞)の授賞対象作品ならびに授賞対象活動について下記の通り、審査結果を発表します。

 地域研究コンソーシアム賞の研究作品賞は、地域や国境、そして学問領域などの既存の枠を越える研究成果を対象とするもので、作品の完成度を評価基準としています。登竜賞も研究作品賞と同様の趣旨ですが、研究経歴の比較的短い方を対象としていますので、作品の完成度に加えて斬新な指向性や豊かなアイディアを重視して評価しました。研究企画賞は共同研究企画の活動実績、また社会連携賞は、狭義の学術研究の枠を越えた社会との連携活動実績を対象としています。
 審査については、運営委員会が担う一次審査によって審査対象作品および活動を絞り込み、専門委員から、一次審査で絞り込んだ作品あるいは活動に対する評価を書面で回答していただきました。今年度の専門委員は、研究作品賞については小川さやか氏、倉沢愛子氏、貞好康志氏、峯陽一氏、登竜賞については梅屋潔氏、岡田泰平氏、宮崎恒二氏、 研究企画賞については速水洋子氏、眞城百華氏、帯谷知可氏にそれぞれお願いしました。そして、一次審査の結果および専門委員の評価を踏まえて、地域研究コンソーシアム賞審査委員会(理事会)において最終審査をしました。この場を借りて、審査に関わってくださったみなさま、とりわけ専門委員諸氏に感謝申し上げます。
 今回の募集に対して、研究作品賞候補作品4件、登竜賞候補作品13件、研究企画賞候補活動3件の推薦があり、一次審査によって絞り込まれ専門委員による評価の対象となった作品および活動は、研究作品賞2件、登竜賞3件、研究企画賞1件でした。
 多くのすぐれた作品・活動の推挙を感謝申し上げますとともに、受賞された皆様には、委員会を代表して心からお祝いを申し上げます。


【研究作品賞】
津田浩司『日本軍政下ジャワの華僑社会―『共栄報』にみる統制と動員』(風響社、2023年2月)

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 本書は、日本軍政期(1942〜45年)のインドネシア(旧蘭領東インド)、とりわけジャワに定住していた約70万人の中国系住民(華僑)に対する軍政府の諸政策と華僑側の対応などの実態を初めて明らかにした労作である。全780頁の大著であるのみならず、分析・記述の質の高さや手法の新規性などにおいて、東南アジア地域研究の最高水準に達していると判断する。  従来この分野の研究は空白に近かった。本書でそれを埋めることを可能にしたのは、日本軍政下で唯一、華僑の手になる華僑向け新聞として発行されていた『共栄報』(華語(中国語)版とマレー語(インドネシア語)版)の原版を、著者自らインドネシア国立図書館で発掘し、利用可能な形にして2019年に復刻出版していたからである。それ自体史料価値の極めて高い『共栄報』全32巻を基礎資料とすることによって本書が成った。
 本書の最大の貢献は、インドネシアの華僑研究においても日本軍政研究においても、従来ほとんど知られていなかった華僑に対する諸政策(統制と動員)の推移とその意味、華僑社会側の対応、ひいては軍政期の華僑社会の実態、特に種々の組織・団体・学校の消長を中心とする社会生活の諸相を、初めて詳細に明らかにしたことにある。その際、「華僑」を一括りにするのではなく、両国語で刊行されている『共栄報』の綿密な紙面比較により、未だ移民の歴史が浅く中国の文化・慣習を色濃く残した「トトッ(新家)」と、先祖代々インドネシアに居住しインドネシア化が進んでいる「プラナカン」を明確に区別し、「華僑」の内実に迫っている。 文献資料の分析手法の綿密さも特筆すべき点として挙げられる。本格的な実証史学の手法が採用され、綿密な史料批判を経て資料が分析される。資料に基づかない推測は最小限に抑制しながらも、資料全体のコンテクストから意味を読み取ったり、官報や日本人・華僑の回顧録など、その他膨大な資料を踏まえたりすることで、総合的に精度の高い情報を積み重ねることに成功している。
 さらに、様々な手法が有機的に結合していることも地域研究の成果として際立っている。 実証史学の手法に則っていると同時に、著者が文化人類学者として20数年来ジャワで培った現場感覚や視点も十分に生かされている。索引に現れるだけでも、華僑のみならず他のインドネシア人や日本人を含めて1000人近い人々による人間ドラマの再構築は、人類学・歴史学・社会学など人文諸学のみごとな融合の賜物といってよい。
 本書は、ジャワや華僑以外の地域や集団を対象とする研究者にも多くのヒントを提供している。JCAS作品賞にふさわしい一級の業績であると結論する。

【登竜賞】
小八木幹也Iran in Motion: Mobility, Space, and the Trans-Iranian Railway (Stanford: Stanford University Press, April 2021)

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 意識の形成を、労働者や観光客、巡礼者や政治活動家など多様なアクターの複数の視点を交錯させながら描いた力作であり、また読み物としても魅力的な内容となっている。
 分析に使われたのは、公文書や新聞、業界誌、旅行記、回想録など多様かつ膨大な資料と、イランだけでなくイギリスやアメリカ、デンマークなど広汎な地域の資料である。19世紀の世界的な交通革命の時代に構想されたイラン横断鉄道プロジェクトは、当初は、ヨーロッパとアジアをつなぐ文明を越えたプロジェクトとして構想されていた。しかし、19~20世紀にかけて、テヘランを中心とする国家を単位とする空間を創造するために定義されるプロセスを経て、第二次大戦後も国家としての空間が意図されていた。その後は、国家の意図を超えて、多様なアクターによる多様なmobilityの実践が新たな空間を創出することになった。すなわち、イラン横断鉄道は国家空間の創出だけでなく、実際には、鉄道の多様な利用者が地域、国家、国家を超えた空間を自在に往来することで、それぞれの空間をつなぐ新たな空間を生み出し続けた。
 本書の特筆すべき点は、先述したように、多岐にわたる資料を用いて綿密な分析がなされていることにある。それに加えて本書では、個々の経験に基づくミクロの視点と、国家を超えたマクロの視点が織り交ぜられながら論が展開することもまた、空間創出のプロセスを描写するための重要な工夫となっている。イラン横断鉄道を軸にして、地域の視点がより広域の地域の動態の中で影響を受け、その結果、どのような新たな空間が創出されているのかという視点は、地域研究の観点から大変興味深い。
 最後に、地域研究の書を英文でまとめ、それが読まれるようにすることの著者の努力も高く評価したい。


【登竜賞】
寺内大左『開発の森を生きる―インドネシア・カリマンタン 焼畑民の民族誌』(新泉社、2023年2月)

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 本書は、長期にわたる現地調査と圧倒的な量のデータに基づいた、熱帯の焼畑民に関する分厚い民族誌である。カリマンタンのダヤックの人々が、開発以前からすでに多角的な生計活動を営んできたことを具体的なデータを用いて指摘し、自然資源利用、慣習的な制度、相互扶助慣行などが、国家や企業が主導するアブラヤシ農園開発と石炭開発を契機にして柔軟に展開してきた様態を描く。焼畑民は、従来言われていたように、自らの生活を脅かすリスクを低減するために開発を拒否したりそれに抵抗したりするばかりではない。自らの土地が産する物品が商品価値をもったり、またその価格が騰貴したりするなど、プラスの不確実性を活かすべく、アブラヤシを焼畑の体系に組み入れ、開発を選択的に受け入れたり借用したりしてきた。開発を拒否する場合でも、具体的な生活リスクを避けるためばかりでなく、自律性を重視した決定を行っているなど、従来はあまり議論されることのなかった重要な知見をすくい上げている。さらに、先住民の権利の尊重が新たな利益相反や集団化など、これまでの不文律との齟齬を生み出している状況を明らかにし、開発に賛成か反対かという単純な二者択一では捉えきれない、現場の人たちの論理を明らかにしようとしている。また、そうした現地の人々の声を、アブラヤシや石炭の消費者側にも届けようとする著者の姿勢も評価できる。
 本書の特徴は、何よりも現地で取得したデータに基づき、現地の焼畑民の論理に寄り添って議論が展開している点であろう。また、現地の自律的な決定と、熱帯林保全や開発といったグローバルな課題との間を架橋する著者の視野の広さも重要な特徴となっている。地域社会をグローバル世界とつなぐ重要な視点が研究成果に活かされている点は、地域研究の作品として高く評価できると同時に、東南アジアだけでなくアフリカも含め、開発の波にさらされる熱帯林の焼畑民研究における重要な研究成果であると評価できる。

【研究企画賞】
宮脇幸生『「女性器切除:グローバルな廃絶運動とローカル社会の多様性」に関する国際的・学際的研究会』

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 女性器切除(FGM/C: Female Genital Mutilation/Cutting)は、SDGsにおいて廃絶が明文化され、現地事情を顧みない普遍主義・道徳主義的な反対論が近年、更に根絶の主張へと強化されてきた。同時に、一方的な根絶の動きが、逆に、各地で反発や危険なヤミ実践などの問題を生じさせている。
 本研究企画は、FGM/Cについてアフリカの複数の国家の事例を取り上げ、さらにアジア(マレーシア)の事例を包含することで地域的多様性についても検討すると同時に、文化人類学、政治学、医学、ジェンダー論など、多様なディシプリンを持つ研究者が日本、アフリカ、アジア、オーストラリアから参加する、学際的かつ国際的な広がりを持つ研究課題として企画された。そこでは、各々の研究者が自らの調査地におけるFGM/C実践をめぐる綿密な実態分析を進める一方、FGM/C廃絶をめぐって各地で生じた混乱や軋轢について、国際的に推進される廃絶運動や言説も含めて検討してきた。従来議論されてきた各地域の宗教や文化とFGM/Cの関係に加え、廃絶を求める国際的潮流を受けた各国の法制度整備の弊害や、地域社会内でもFGM/Cに関して世代や階層、ジェンダーにより多様な認識が生まれている点も実証的に示されている。1980年代以降、FGM/Cをめぐって「価値普遍主義か文化相対主義か」といった二者択一的な議論を乗り越えることが困難であったが、本研究は、上記の議論や国際的廃絶運動に一石を投じる研究成果を示したといえる。
 こうした堅実かつ重要な研究成果を生み出すために本研究企画では、2017年から6年の年月をかけて特にアフリカを中心に現地を知悉する多分野多国籍の研究者らが、研究会・学会発表・原稿読み合わせ等を通じて真摯に議論と発信を続け、それに基づいて和書(宮脇幸生・戸田真紀子・中村香子・宮地歌織(編著)2021.『グローバル・ディスコースと女性の身体 アフリカの女性器切除とローカル社会の多様性』晃洋書房)と英文書籍(Kyoko Nakamura, Kaori Miyachi, Yukio Miyawaki, Makiko Toda(Ed.)2023. “Female Genital Mutilation/Cutting Global Zero Tolerance Policy and Diverse Responses from African and Asian Local Communities” Springer.)を刊行してきた。それ以外にも、研究成果が日本語、英語による学術書の出版ならびに国際学会、国内の学会、研究会等を通じて広く公表されている。研究内容の学際性や実証性と共に、JCASの研究企画賞に極めてふさわしい企画であると判断される。


2023年 11月 18日
地域研究コンソーシアム賞審査委員会




受賞者紹介

津田 浩司(つだ こうじ)

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 東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は文化人類学、東南アジア地域研究。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。日本学術振興会PD(名古屋工業大学)、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教、東京大学大学院総合文化研究科准教授を経て現職。インドネシアの華人社会を対象に、マクロな社会・政治環境の変化の只中で人々の暮らしの場で生起する「民族」、「宗教」、「伝統」等とされるものの動態をミクロに明らかにする研究を続けている。著書に『「華人性」の民族誌―体制転換期インドネシアの地方都市のフィールドから』(世界思想社、2011年)、『日本軍政下ジャワの華僑社会―『共栄報』にみる統制と動員』(風響社、2023年)、共編著に『「華人」という描線―行為実践の場からの人類学的アプローチ』(櫻田涼子・伏木香織との共編、風響社、2016年)、『「国家英雄」が映すインドネシア』(山口裕子、金子正徳との共編、木犀社、2017年)等がある。



小八木 幹也(こやぎ みきや)

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 テキサス大学オースティン校中東学部、アシスタント・プロフェッサー。2023年秋学期スウェーデン高等研究所バーブロ・クライン・フェロー。一橋大学社会学部卒、テキサス大学オースティン校中東学部修士、歴史学部博士。ニューヨーク大学中東イスラム学部アシスタント・プロフェッサーを経て2018年9月より現職。主にイントラ・アジアンな物的、人的、知的ネットワークという観点から近現代イラン史、特にボーダーランド史、そして日本と中東の交流史を研究している。

    


寺内 大左(てらうち だいすけ)

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 筑波大学人文社会系・准教授。専門は環境社会学、環境人類学、国際開発農学。博士(農学)。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程単位取得退学。インドネシアのカリマンタンおよびスマトラ島でフィールドワークを行う。自然資源に依存しながら暮らす地域住民が、国際社会・国家・企業による森林の開発・保護をどのように認識し、どのように対応しているのかを調べている。そして、外部者が想定する「正しさ」を地域住民の視点から問い直し、多様な開発・保護のあり方を検討する研究を行っている。主な論文に「グローバル・コモディティの環境社会学」(『環境社会学研究』27、2021年)、「東カリマンタンの石炭開発フロンティアにおける焼畑社会の再編」(『東南アジア研究』58(1)、2020年)、「焼畑民によるアブラヤシ農園開発の受容」(『東南アジア研究』55(2)、2018年)などがある。

    


宮脇 幸生(みやわき ゆきお)

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 大阪公立大学現代システム科学研究科教授。専門は文化人類学、地域研究。京都大学文学部卒、京都大学文学研究科修士課程修了。博士(京都大学 人間・環境学)。大阪府立大学助手・助教授・教授を経て現職。日本学術振興会専門研究員(文化人類学 2020-2023年)。主たる研究テーマは、エチオピア西南部農牧民社会における生態資源利用と歴史認識。著書に『辺境の想像力-エチオピア国家に抗する少数民族ホール』世界思想社2006年、共編著に『講座 世界の先住民族 ファースト・ピープルズの現在 05 サハラ以南アフリカ』明石書店2008年、『国家支配と民衆の力-エチオピアにおける国家・NGO・草の根社会』大阪公立大学共同出版会2018年など。

    



受賞者からの一言

◆津田 浩司氏

 この度は、名誉ある地域研究コンソーシアム賞研究作品賞を賜り、誠に光栄に存じます。本文・注ともにかなりの分量になる本書を読み込みご評価くださった審査委員の先生方に、まずもって心より感謝申し上げます。受賞作となった『日本軍政下ジャワの華僑社会―『共栄報』にみる統制と動員』は、アジア太平洋戦争中に日本軍の占領下にあったジャワで発行されていた華語・マレー語の日刊紙『共栄報(Kung Yung Pao)』を主資料として分析・記述したものです。インドネシア国立図書館に眠っていたこの『共栄報』と出会わせてくださったインドネシアの研究仲間の皆さま、2019年に同紙の復刻刊行を実現してくださった漢珍数位図書(Transmission Books & Microinfo)の皆さま、本書の基となった報告や草稿に対し研究会や私的なやり取りの場を通じて数々の有益なコメントをくださった先生方、そして最後まで丁寧に校正作業におつき合いくださった風響社さま等々のご助力・ご支援なくして、本書が完成を見ることはありませんでした。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
 インドネシア(旧オランダ領東インド、蘭印)の地に暮らす華僑華人は世界最大の人口規模を誇ると言われます。その彼らは、1900年代~40年代初頭、それに1950年代~60年代半ばにかけての時期、マレー語・華語による出版物を通じて活発に言論活動を展開していました。それゆえ、この両時期における彼らを取り巻く政治過程や彼らの社会生活の動向を窺い知るための資料は、比較的恵まれていると言えます。ところが、その間に挟まれた1940年代、とりわけ日本軍政期(1942年3月〜45年8月)は、厳しい言論統制と物資不足の影響から資料自体が極めて限られ、「インドネシア華僑華人史におけるミッシングリンク」だとされてきました。
 本書はこうした状況に対し、旧蘭印の政治・経済の中心地ジャワで、日本軍政期を通じて発行が続けられた華僑(本書では、当時の用語法に即しこの語を用いています)向けとしては唯一の日刊紙『共栄報』を読み込むことを通して、日本軍政がこの地の華僑をいかに統治しようとしたのか、また華僑社会の側はそれにどのように対応していったのかを、可能な限り微細に明らかにしようと試みました。
 無論、この『共栄報』は、同時期の日本国内や日本軍支配下のアジア各地で発行されていた新聞と同様、軍による厳しい事前検閲を受け発行されていたいわゆるプロパガンダ紙です。同紙の存在はこれまでも種々の学術書で言及されてきましたが、多くの場合「プロパガンダ紙である」と述べるに留まり、その内容にまで踏み込んで正面から精査されるようなことはほとんどありませんでした。新聞自体は文語体主体の華語と、華僑独特の癖を持ったマレー語で書かれており、またこの新聞の性質(発刊から終刊に至るまでの経緯、責任者や編集体制、発行部数等のメタ情報を含む)を明らかにするためには、日本語で書かれた各種資料を読み込む作業も欠かせません。こうした言語面のハードルもまた、同紙が国内外を問わず手つかずのままとされてきた背景にあるものと思われます。いずれにせよ本書は、当時の ジャワで華僑社会向けのメディアとして重要な役割を担っていたこの『共栄報』に掲載されている膨大な記事を、軍政関係資料や同時期ジャワで発行されていた他の刊行物、それに中国(華僑)側やオランダ側の記録、関係者の回想録等々と読み合わせつつ批判的に検討する作業を通して、「ミッシングリンク」と言われてきたこの過酷な3年半の間にジャワの華僑社会がいかなる歴史経験をしたのかを、時系列に沿って再構成することを目指したわけです。
 結果的に、本書では6百を超える華僑の名が言及されることとなりました。このように、従来未解明であった日本軍政下ジャワの華僑社会の動向を些かなりとも具体的に提示したことによって、当該社会がその前後の時期とどのような連続性/断絶性を持っているのか、より精確に議論するための足掛かりが得られたのではないか、と思います。
 また、そもそも日本によるアジア各地の植民地化や占領統治に関する研究は、インドネシアを含め非常に充実した蓄積がありますが、その関心はしばしば、個々の地でマジョリティを構成し、戦後の独立過程において主流を成していった人々(インドネシアの場合は、かつて「原住民」と呼ばれた人たち)との関係性へと向かいがちです。しかしながら、日中両国が戦火を交えるなかで繰り返し大陸支援を行ってきた東南アジア(当時の用語法では「南洋」ないし「南方」)の華僑の存在は、日本側にとってはアジア太平洋戦争開戦のはるか前から注視すべき対象としてありました。そして軍政施行後も、現地の流通網を握る彼らをいかに適切に統制し動員していくかは、重要な政策領域を成していました。実はジャワにおいてそれら対華僑政策は、「原住民」社会に対する統治のあり方、戦局全般の推移等々の諸変数と密接に絡み合いつつ、短期間のうちに大きく揺れ動きました。このように、華僑を焦点にジャワの日本軍政を描き直した本書は、古典とされる先行研究が数多ひしめくこの領域に対しても、小さいながらも一石を投じ得たのではないか、と考えています。
 華僑華人はその定義上、国家や地域を横断した存在だとされます。戦争もまたその性質上、自ずと国家や地域を横断した事態を引き起こします。ただ、この著作においては、ジャワという一地域(軍政域)を越えた記述にはあまり手が回らず、同時期の隣接地域との比較分析は今後の課題として残されたままです。実はこの著作は、本務先からいただいたサバティカル期間がコロナ禍初年とちょうど重なり、当初予定していた別テーマでの海外フィールドワークの代替として、自宅に籠ったままできる作業をということで、(歴史学、とりわけ日本軍政史が直接の専門ではないにもかかわらず)専ら資料を用いて執筆しようと思い立った、その産物です。それゆえ、特に国外での資料収集は明らかに不十分ですし、本来成し得たかもしれない聞き取り調査も全くできませんでした(もっとも、日本軍のジャワ占領から 80年が経つ今となっては、聞き取り調査はもはや現実的でないのかもしれませんが)。
 上で「歴史学が直接の専門ではない」と書きました。今から考えますと、この言い訳に基づく気楽さが、本書の草稿を1年ほどで一気に書き上げられた大きな原動力となっていたのかもしれません。とはいえ、このたび大変重たい賞を頂戴しました上は、「専門ではない」などといった言い訳は通用しません。今後は賞の名に恥じぬよう、また歴代受賞者の諸先輩方の名を汚さぬよう、より一層専門性を深めつつ、より広い視野のもと、そしてより学際的に研究を進めていかねばと、身の引き締まる思いでいるところです。引き続き、皆様方から厳しくご批判・ご指導を賜れましたら幸いです。
 改めまして、このたびはどうもありがとうございました。

◆小八木 幹也氏

 この度は地域研究コンソーシアム賞、登竜賞をいただき誠に光栄です。日本を離れて20年以上経ち、海外で研究者として育成されてきた自分がこのような名誉ある賞をいただけたことに恐縮するとともに、審査に関わってくださった先生方、関係者の皆様に対し深く御礼申し上げます。
 拙著は、イラン初の国家鉄道プロジェクトであったイラン縦貫鉄道を移動(モービリティ)の社会史として辿っています。イランが近代国家として成立していく中での目玉プロジェクトとして1927年から1938年にかけて建設されたこの鉄道は、その歴史的文脈のため「国家」の枠組みでのみこれまで説明されてきました。拙著は、これに対してモノ、人、アイデアの様々な空間的スケールでの移動という枠組みでイラン縦貫鉄道を捉え直した試みです。イラン、アメリカ、イギリス、デンマークで資料を集め、政治家やテクノクラートのみならず地主、労働者、遊牧民、巡礼者など様々な人々の移動を見ることでイランという国家が上からだけでなく、社会的、空間的周縁部からも縁取られていったプロセスを描きました。
 なぜそういう試みをしたのか考えると、勿論人文社会科学における様々な潮流に触発されたというのもあるのですが、それ以外にも自分が中東地域研究に携わってきた過程と関わりがあるかと思います。研究者というのは私のセカンド・キャリアです。日本での学部時代、部活一筋で過ごした私は企業に就職し、そのまま会社員として務めるつもりでした。色々悩んだ末にアメリカで中東研究を学ぼう、というよくわからない決心をしたわけですが、それも若さゆえの無計画な好奇心からでした。当時、アメリカに行ったこともありませんでしたし、英語で授業を受けたことも論文を書いたこともありませんでしたし、ペルシャ語もアラビア語も学んだことがありませんでした。
 そんな状況で英語で議論し執筆することを学びつつ中東諸語を学び、また中東諸国に留学、調査旅行に赴く中で「国家プロジェクト」としてイラン縦貫鉄道を捉えることだけでは不十分だと考えるようになりました。ひとつにはイランで、またディアスポラで世界各地に住むイラン系の同僚、知人、友人と関わったことが要因です。西南部の遊牧民だった祖父が定住労働者になった話、イラン人鉄道技術者だった父がインド人技術者の下で働いていた話、祖母が鉄道旅行する際に必ずするまじないの話など、人々の語りを無視しない歴史を描きたいと思ううち、探求の対象とする空間もイランという枠をひとまず外してみることが大切だと気づきました。
 さらには、自分自身の立ち位置、つまりアメリカで中東研究に携わる日本人研究者、ということをだんだん強く認識してきたことも移動(特に自らの意思で移動するという特権)とネットワークに対する関心を刺激しました。特にいわゆる西洋へのみ繋がるネットワークでなく、インド、ペルシャ湾域、コーカサスなどへ繋がるネットワークに重点を置いた点は、自分の立ち位置を意識する中で具体化してきた発想です。
 そうしたプロセスを経て出版された本書が日本で評価していただけた、ということは大変嬉しく思っています。また、移動や空間について考えてきたことは、現在の自分の研究関心にも反映されており、イラン、インド、アフガンのボーダーランド史や西アジアを含めたアジア主義の変遷など、これから取り組みたいプロジェクトが多くあります。今後とも皆様のご指導をいただき日本の地域研究、英語圏の地域研究、また中東から発信するプロジェクトに貢献していきたいと思います。よろしくお願いいたします。


◆寺内 大左氏

 この度は地域研究コンソーシアム賞(登竜賞)をいただき、誠にありがとうございました。選考委員の先生方、これまでにご指導・ご助言をくださった先生方、サポートしてくださった皆様にお礼申し上げます。
本書『開発の森を生きる―インドネシア・カリマンタン 焼畑民の民族誌』は2014年1月に提出した博士論文に大幅な加筆修正を加えたものです。博士論文を提出した時から、いずれ単著として出版したいと思っていました。しかし、そのまえに学術論文にできるところは論文にして、各章のブラッシュアップをはかり、全体の完成度を高めてから出版したいと思っていました。しかし、なかなか出版にこぎつけられませんでした。「いつ博士論文を出版するんだ?」「完成度をあげて、しっかり仕上がってから出版したいと思っています」「そんなことを言っていたらいつまでたっても出版できないぞ」というやり取りを何人かの知人研究者としていました。最終的に、博士論文を提出してから9年もの歳月をへて出版できた次第です。出版後も「もっとよく書けたのではないか」という気持ちが消えず、心の中にもやもやした気持ちが残っていました。一方で、「これが今の自分の限界」というあきらめにも似たやり切った気持ちもありました。その意味で本書を評価していただけたことは私にとってとても励みになります。
 本書は、アブラヤシ農園開発と石炭開発が拡大するインドネシアの東カリマンタンを舞台に、開発に直面した焼畑民が何を考え、どのように生きているのかを描いた民族誌です。開発による森林破壊や経済発展、人権侵害といった既存の開発をめぐる議論から距離を置いて、焼畑民の視点から開発の意味や問題を捉え直すことを試みました。すると、開発を推進する政府や企業からみれば非合理的にうつる焼畑民の開発に対する対応にも、実は特異な生活環境を生きるうえでの合理性があること、また大規模アブラヤシ農園開発の問題は主に地域経済の脆弱化や企業による農民の搾取という観点から問題視されてきましたが、焼畑民の視点から見ればもっと多様な問題として認識されていることなどがみえてきました。地域研究の意義は様々だと思いますが、本書においては外部者が見落としがちな地域住民の合理性や開発の意味や問題を見つけ出し、外部者にもわかる形で表現し、対話の礎を築いたこと、これが本書の意義だと考えています。もう一つの意義として、焼畑民は戦略的に開発を受容していたのですが、開発受容の動機を聞くなかで人々を開発受容に方向づける政治構造が存在することをみつけたことです。地域住民を取り巻く見えない構造を指摘し、改善への道筋を示したことも本書の意義と考えています。
本書は約10年前に実施した現地調査のデータに基づいて執筆しています。約10年がたち、焼畑民の暮らしはどうなっているのか。もう一度、村を訪れて調べてみたいと思っています。また、カリマンタンから産出される木材、パーム油、石炭、ラタンなどの資源は日本にも輸出され、私たちの生活と密接につながっています。最近では国際資源管理認証制度やフェアトレード、デューデリジェンスにも関心が及ぶようになり、国境を超えたグローバル・ガバナンスがインドネシアの地域住民や企業を含む多様なアクターのポリティックスにどのような影響をもたらしているのか調査していきたいと考えています。
 今後もフィールドに通い、ローカルな視点からナショナル、グローバルな動きを捉え直し、既存の議論に一石投じられるような研究を行いたいと考えています。今回の受賞の喜びを今後の研究のエネルギーに変え、精進していく所存です。今後ともご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


◆宮脇 幸生氏

 このたびは、私たちが取り組んできましたプロジェクト「『女性器切除:グローバルな廃絶運動とローカル社会の多様性』に関する国際的・学際的共同研究の企画と推進」を地域研究コンソーシアム研究企画賞に選出いただき、ありがとうございました。栄誉ある賞を受賞し、とてもうれしく思っております。
 このプロジェクトは、2016年にある科研の研究会でたまたま出会った4人のメンバー(宮脇幸生、戸田真紀子、中村香子、宮地歌織)が、宮脇を介して互いに知己の関係にあること、そして全員が女性器切除という慣習に関心を持っていることに気づいたことがきっかけで始まりました。当初は4人の読書会から始まったのですが、すこしずつメンバーを増やしていきました。
 女性器切除(FGM/C: Female Genital Mutilation/Cutting)は主にアフリカ大陸で維持されてきた慣習です。重篤な健康被害をもたらすだけでなく、女性への人権侵害であるとして、1980年代以降、国際的な廃絶運動の対象となってきました。本プロジェクトのメンバーは、アフリカで長期にわたって現地調査実施してきました。それぞれのフィールドは、宗教、生業、社会規範などが大きく異なっていますが、すべて女性器切除を慣習として維持しています。フィールドワークを通してメンバーは、WHOのような国連機関や国際NGOによる「完全廃絶(ゼロ・トレランス)」を旨とする廃絶運動が、期待されるような成果を上げていないこと、また、近年、廃絶運動が活発化する一方で、現地社会の拒絶や抵抗がより強くなってきていることを、それぞれの地域で目の当たりにしてきました。そして、グローバルな価値とローカルな価値を結びつけ、この問題の新たな解決方法を探求することは地域研究者の責務であるという共通の認識のもとに、共同研究を開始したのです。
 だからと言って、私たちの女性器切除に対する認識が当初から一つにまとまっていたわけではありません。むしろ発足当時は、地域社会の伝統に共感するメンバーから、家父長制的抑圧に反対するメンバーまでおり、かなり意見の相違があったのです。
 ですが私たちは、(1)女性器切除に関する調査地での事例の共有と議論(現地調査と研究会の実施)と学術的な動向の調査(読書会の実施)、(2)国内外の学際的な研究者との議論(ワークショップなどの開催・参加)、という2つの活動を柱とし、メンバーを増やしつつ、認識の統一をはかっていきました。そして結果的にそれは、21回の研究会の開催、5回の国際ワークショップの開催/報告、1回の国内ワークショップの開催/報告、3回の国際学会での報告、1回の国内学会でのフォーラム報告という形で結実し、これらの活動を通して私たちは、女性器切除という慣習やそれに対する地域の受け止め方、そして廃絶運動に対する受容の在り方の多様性を認識するようになったのです。またグローバルな価値とローカルな価値を調停しながら女性器切除の廃絶を目指す、「順応的ガバナンス」による廃絶という方向性も提言しました。
 さらに私たちは、本プロジェクトの研究の成果として、2冊の書籍を出版しました。日本語では2021年4月にまず『グローバル・ディスコースと女性の身体―アフリカの女性器切除とローカル社会の多様性』(宮脇幸生・戸田真紀子・中村香子・宮地香織 編著)を晃洋書房より出版しました。これは、日本において「女子割礼/女性器切除」の問題を正面から扱う初めての学術論集となりました。出版後の反響も大きく、メンバーは国内外でのワークショップに招聘されて報告する機会を得ています。
 また日本語書籍を深化・発展させた英語書籍「Female Genital Mutilation/Cutting: Global Zero Tolerance Policy and Diverse Responses form African and Asian Local Communities」をSpringer社より2023年2月に出版しました。本書には、日本の研究者だけでなく、スーダンやエチオピアの研究者、マレーシアにおける女性器切除の研究者、オーストラリアにおいて女性器切除を受けた移民を扱う医療専門家など、国外の研究者も多数参加しています。さらに男子割礼も含めた身体加工と人権侵害、それを行う社会の伝統や価値観の検討も加え、より包括的な研究となっています。
 このように本プロジェクトは、たまたま出会った友人たちの小さな集まりから始まり、少しずつその輪を広げて行って今日に至ったものです。そして今では、アフリカやアジアからの留学生も含め、何人もの若い共同研究者が加わり、フレッシュなメンバーを中心とするプロジェクトへと変わりつつあります。本プロジェクトの地域研究コンソーシアム研究企画賞の受賞は、このような次世代につながる研究の試みに対しても、強いご支援をいただいたものと思っております。ほんとうにありがとうございました。